2006-01-01から1ヶ月間の記事一覧

信頼関係とそこから生まれる「関係パワー」。

「スラムダンクな友情論」斉藤孝著より。 イチロー選手のエピソードはしばしば用いられるが、ここにも一つあった。彼は道具を大切にすることはよく知られている。しかし、かつて一度だけ三振をしてバットを叩きつけたことがあったのだ。それはまともに勝負し…

一人の優れた作家の全盛期を読者としていっしょに駆けぬける・・・

「短編小説を読もう」阿刀田高著より。 筆者の二十代は松本清張が登場し盛んに力作を発表していたという。そして、それらを次々に読みあさるのが阿刀田氏のかけがえのない喜びだったのだ。 そういえば、自分の二十代から三十代にかけてもそんな一時期があっ…

「くりかえし」見たり、聴いたり、読んだりしても飽きないものが本当

「スラムダンクな友情論」斉藤孝著より。 つまりそれは何かといえば、筆者は「自分にとっての古典」だという。今ある「古典」は長い年月に耐えて新しい意味や感動を生み出してきたものだ。 そこで、偶然にも先日読んだ「名画読本」の中で赤瀬川原平氏も似た…

名画を見るにはそれなりの心の準備も必要だろう。

これは個人的な想像だ。前日「名画」について触れてみたら、たまたま今朝の日経朝刊(2006.1.28)の別刷“NIKKEIプラス1”にあった「一度は見たい名画」というタイトルが目に入った。いろんなことについてちょこっとだけでも触れていると意外なものが目につ…

肩書きと内容は必ずしも一致しない。

「名画読本」赤瀬川原平著より。 この場合の肩書きとは「名画」のことだ。筆者は「名画」だからというだけで、作品をみているなら、それは肩書だけ見て感心しているようなものだ、と指摘している。この名画は映画ととっても差し支えないだろう。 ここでのポ…

あまりにスピーディーに得られる正解は、迷う楽しみを人生から奪って

「R25」2006.1.26(No78)より。 こう述べているのは作家の石田衣良だった。何かを調べようとするとき、パソコンの検索画面にキーワードを入れてエンターを押せば、関連情報がずらっと出てくる。そのなかに欲しい正解を見つけることもできる。 確かに便利だ…

活力が出るような理屈を考えて事に向かう。

「スラムダンクな友情論」斉藤孝著より。ここには福沢諭吉の例が取り上げられていた。彼はせっかっく苦労して蘭学を学んだにもかかわらず、大阪から江戸に来てみると英語がまったくわからすショックを受けたのだ。 もし、「欄学者」として生きるならオランダ…

人間は数字で健康、不健康の先回りや近道をしている。

「人間は脳で食べている」伏木亨著より。 まさにこれは健康診断のたびに不安を覚える自分にあてはまっている。自覚症状がまったく無ければ、自分の身体が不健康だとは思いたくないもの。たまに、多少の違和感があったところで、歳だからしょうがないかと半ば…

一番貧しい時、大変な時に最もいいものを発見できる。

「へそまがり人生設計メモ」藤本義一著より。 一般的に金持ちがハングリー精神を持つのは難しい。また、ハングリーであることとプアーはちょっと混同しやすい。 藤本氏は次のように言っている。「金がないために気持ちまで貧しくなったらそれはハングリーじ…

お互いに高めあう「張りのある関係」が、クリエイティブな友情の関係

「スラムダンクな友情論」斉藤孝著より。 この“クリエイティブな友情”という部分がとくに新鮮な感じがする。それはいったいどんなものだろうか。筆者によれば、友達と話しているときなど自分ひとりでは思いつかなかったようなヒントを得られるようなことを指…

気持ちは自分でリセットするしかない。

「朝日新聞」土曜版2006.1.21付けより。 料理家の栗原はるみさんの言葉だった。(たまたま前日食物について触れていたためか、興味をそそられた記事が目に入った)この人は、元祖カリスマ主婦を卒業して今や世界のスーパー主婦とまで呼ばれている。昨年はレ…

人間はあまりにも脳の情報に依存した食べ方に慣れてしまった。

「人間は脳で食べている」伏木亨著より。 その結果どうなったかというと筆者は次のように述べている。「現代人の多くは五感で直接食物の価値を判断する力が鈍くなってしまってきている。」 食物に対する膨大な情報によって、私たちは味わう前に判断しながら…

“そ”のイメージで遊んでみる。

(つまり、要するに、いわゆる・・・前日の蛇足) 上記は今夜の日記のタイトルのつもり。 一般的なコミュニケーションは直接または電話で話す、あるいはメールを使うなどだ。まれには手紙やハガキなどの利用もあるだろう。私はそのなかにたまに粗品などを交…

“そ品力”を実感してみる。

(前日のつづきのようなもの) これはフレーズというより今日の日記のタイトルに過ぎない。 わざわざ買ったものではないハンドメイドの粗品は、ちょっとしたコミュニケーションの潤滑油になっている。(私の場合は) 買ってきたものは、それを手にしたときに…

「冬のソナタ」より「冬のソシナ」・・・

約2年ほど前に思いついたフレーズだった。しかもそれは単なる言葉だけではなかった。 言葉と同時に粗品を手渡しながらだった。きわめて個人的な話になってしまうが、以前から人とのコミュニケーションには、たまには何気ない粗品が面白そうだと思っていたの…

情報を捨てると情報活用がうまくなる。

「日経ビジネスアソシエ」2006.01.03号より。 情報は必ずしも大量にあればいいというものでもない。情報を活用するためには、ある程度の諦めやいい加減さがあるほうがいいようだ。 とりあえず、集まったら、直感で不要なものは捨てていくことがポイントなの…

相手の特技は、仲よくなってはじめてわかる。

「あなたのお客さんになりたい!2」中谷彰宏著より。 人の学歴や経歴または組織内での役職、業績などは単なるデータのごく一部にすぎない。そこからはその人がどんな特技を持っているかは、見えてこないことのほうが多い。 たとえその人が自分で特技だと思…

不幸のてんこもりだ。職場にいたって不幸は追いかけてきた。

「だれかのことを強く思ってみたかった」角田光代・佐内正史著より。 この“てんこもり”という表現ひとつで、不幸がなんだかこっけいにさえ思えてくる。どうして自分にだけこんなに不幸なことが起こるんだろうか、となかばあきれ果てているかのような印象を受…

言葉を交わすことはなく、無関心という敬意をはらい続けた。

「だれかのことを強く思ってみたかった」角田光代・佐内正史著より。 この文学的な表現がちょっと気になった。書いているのは直木賞作家の角田光代氏。 場所の設定は都内のある公園のベンチ。“私”という人物(筆者自身ではないかもしれない)が17歳の頃、毎…

ヒトの心と手が生み出したものと自然が生み出したもの

「一個人」2006年2月号の中にあった「シャガールと木の葉」(谷川俊太郎)より。 詩人の言葉はいろいろなものを想像させてくれる。 ここにある「ヒトの心が生み出したもの」とは谷川氏が貯金をはたいて買ったシャガールのリトグラフのことだった。そして、「…

一年後のあなたに宛てて手紙を出しませんか。

「一個人」2006年2月号より。 この雑誌を買った後で付録があることに気がついた。その付録にあったフレーズ。それは数枚の便箋と封筒だった。その専用の便箋と封筒を使って書いたものが一年後の自分に届くという読者向けのプレゼント企画だった。ちょっと面…

エジソンにかぎらず、近代の発明の少なからぬものが、さまざまなアイ

「日用品の分化誌」柏木博著より。 この本の“電球の出現”という箇所にあったフレーズ。誰もがエジソンは発明王だということは疑わないだろう。しかし、エジソンはすべて無から有を生じさせたというわけでもなかった。その箇所を簡単にまとめると次のようにな…

忘れようがない記憶のひとこまとして、父と銀座を歩いた日がある。

「だれかのことを強く思ってみたかった」角田光代、佐内正史著より。 その中の「父と歩いた日」というエッセイのようなショートストーリーの中にあったフレーズ。 この本は佐内氏の写真と角田さんのエッセイからできている。写真はすべて東京の何気ない街角…

不要な流行や商品の存在を知ることによって、自分の人生だけが損をし

「産経新聞」H18.1.6付け朝刊、文化面より。 連日テレビ、新聞、雑誌等のマスコミを通じて膨大な情報が流されている。商品や流行に敏感であろうとなかろうと、自分の生活とは関係なさそうな情報を目にする機会は増えている。 マスコミは世間でいう“勝ち組”の…

道は短い距離で区切りをつけて歩いていったほうが、達成感を得やすい

「R25」No.74より。 “つきぬけた瞬間”というコーナーで高田延彦が語っている言葉。去年の大晦日は格闘技「PRIDE」を観ていた。その創成期を築いたのがこの男だった。 このフレーズ自体は、まあ当たり前なことだと言えばそれまでだろう。ある目標に向かおうと…

蜘蛛の足よりも少なし街の友

「森村誠一の写真俳句のすすめ」森村誠一著より。 これは氏の作った写真俳句だが、私にとってはフレーズでもあった。ここには一枚の写真が掲載されている。それは六本木ヒルズにある巨大なクモのブロンズ彫刻だ。蜘蛛の長い足の下を人が歩いている。私もその…

足の中に“歩きたい因子”が発生したかのように・・・。

「小説新潮」2005.12月号より。 放送作家の高橋洋二氏が書いているコラムの中にあったフレーズ。氏は移動手段に一年前からそれまでの電車や車から徒歩を取り入れ始めたという。それもかなり積極的に1、2時間も歩くこともあるらしい。その結果、都心の夜間の…

人は注目されたいと思うときにもクリエイティブを発揮する。

今朝、眠気から覚めるときふと思い浮かんだフレーズ。 最近は年賀状をパソコンで作ることが一般的になってきている。そして、裏表とも印刷だけのものが大半だ。直筆の部分が何もないということは、その他大勢と一緒ということでもある。誰にでも同じならダイ…

生活のなかの何でもない“小さな良いこと”が日々の暮らしを非常に充

「ホームクリエーションの時代」谷口正和著より。 日常生活を充実させてくれるものはなにかと言えば、それほど大げさなものではない。それは意外に身近にあるかもしれない。 ちょっと嬉しいことはまた繰り返したいと思うはずだ。些細なことを繰り返し楽しめ…

笑いは基本的に“肯定”のコミュニケーションだ。

「ホームクリエーションの時代」谷口正和著より。 新しい本ではなくてもそれが自分にとって新鮮であれば、得るところはあるものだ。この一冊もブックオフで買ったものだが示唆に富んでいる箇所がいくつもあった。 「笑門来福」、つまり笑う門には福来たるは…