言葉を交わすことはなく、無関心という敬意をはらい続けた。

「だれかのことを強く思ってみたかった」角田光代佐内正史著より。
この文学的な表現がちょっと気になった。書いているのは直木賞作家の角田光代氏。
場所の設定は都内のある公園のベンチ。“私”という人物(筆者自身ではないかもしれない)が17歳の頃、毎日のように同じ公園に行きベンチに腰掛けていた。人はまばらにいるだけ。
夕暮れ時になると、小柄な背中を丸めた中年男がやってきて、少し離れたベンチに腰掛ける。彼の足元には猫が5,6匹まとわりついている。“私”は彼に猫男と命名していた。(もちろん心の中で)その猫男も“私”の存在を気にもとめていない。ただぼんやりと空を見上げるか猫をみているだけだった。こんなことを一定期間でも続けてていれば、記憶に残るかもしれない。
いささか、状況説明が長すぎた。現実の生活に目を転じてみよう。同じバス停や駅、電車内でも似たような風景があるものだと思い当たった。自宅の前を通り過ぎていく人たちも知らない人たちだ。顔見知りだが、決して会釈も挨拶も交わさない。
何もこれといったきっかけがないからかかわりあう必要もない。近所に住んでいても名前も知らず、なんのかかわりもない人が多いことにも気づく。
敬意を払うことは、必ずしも言葉や態度に表わすことではなく、場合によっては無関心であったほうが、敬意を払っていることにもなるのか・・・な。