ヒトの心と手が生み出したものと自然が生み出したもの

「一個人」2006年2月号の中にあった「シャガールと木の葉」(谷川俊太郎)より。
詩人の言葉はいろいろなものを想像させてくれる。
ここにある「ヒトの心が生み出したもの」とは谷川氏が貯金をはたいて買ったシャガールリトグラフのことだった。そして、「自然が生み出したもの」はここでは道で拾ったクヌギの葉っぱだったのだ。その二つを並べてみたときの詩のなかのワンフレーズ。
人の手で創られた芸術作品と自然の木の葉を対比しているが、共通しているのはどちらも美しいと感じているっことだった。人工的なものと自然の樹木では美しさは異なっていても、どちらも感動を与えてくれる。
私も庭の樹木や花を見て、自然はどうしてこんなにバランスよく形づくるのかと驚くこともしばしばだ。雪の結晶も間じかで見ると実に美しい。自然の造形物はそれ自体で感動する。
また、リトグラフには値段があるが、木の葉にはないという対比もある。ある部分では異なっていても別のところでは共通している。まったく異質なものを並べることで見えてくるものがある。元々値段などないように見えてもその道の専門家からみれば価値が出てくるものがある。骨董品の世界もそうだろう。
ここで連想するのは、宝石でもある。専門家によって見分けられた原石は磨かれて価値は高まっていく。その後カットされデザインを施され、組み合わされることで付加価値はさらに高まる。
人も同様に無数の人に出会いながら磨かれていくのだろう。付加価値の高い人になれるかどうかは、本人の心がけ次第ということか・・・な。(詩の内容とは全く関係ない話しになってしまったか)