舞台に立つことを恐れない。

舞台に立つことを恐れない。
「嫌な気分を切り替える技術」齋藤孝著より。
舞台に立つとは、別に役者やアーティスト、スポーツ選手などの華やかな世界、だけを意味しなかった。客観的評価にさらされることはすべて「舞台」だった。
評価されると思えばかなり緊張してしまうものだが、失敗や挫折をしてもそれに耐えることで成長するのだろう。むしろ失敗のほうが多いかもしれない。
しかし、回数を重ねれば、そのショックにも最初ほど大きくはないようだ。大事なのは場数を踏むことだった。慣れれば、意外にうまくいくことも多い。
筆者はチャレンジはそれほど大げさに考えず、ふだんよりちょっと前のめりになることだと思えばいいとアドバイスしている。なるほどと思える!

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心は、からだと行動で変えていく。
「嫌な気分を切り替える技術」齋藤孝著より。
頭でいろいろと考えすぎると疲れてしまう。心を変えるには、からだの状態を変え、行動を変えるほうが手っ取り早いそうだ。
たしかに、疲れているといは休んでリラックッスできれば、気持ちも楽になりそうだ。眠い時には思考は働かない。昼寝をした後は、物事もスムーズに運ぶことも多い。
また深い呼吸ができると、気持ちも落ち着きを取り戻すことができるようだ。最近はとくに深呼吸を意識してするようにしている。これは自律神経の安定にもいいからだった。
そして、笑うことができれば心も切り替えることができるという。むしろ楽しいから、面白いから笑うんのではなく、意識して笑顔をつくり、笑い声を出せればベストだった。練習したいものだ。
それで副交感神経が刺激され、心もリラックスできるからだった。また笑いは免疫力も高めることでも知られていた。そういえば、アニマル浜口の豪快な笑いを思い出した!
体と心は連動しているのだった。
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心のスイッチとして、「ルーティン」を持つ。
「嫌な気分を切り替える技術」齋藤孝著より。
ここで言うルーティンとは決まった行動や体の動きだった。たとえば、かつてラグビーの五郎丸選手がキック前に行うポーズを思い出せばわかりやすい。これが典型的なルーティンだった。
もっと有名なのは、メジャーで活躍するイチロー選手がバッターボックスに入る時の動作もそうだった。これは自分が集中するための儀式のようなものだった。
常に一定の型に則った動作、手順をとることで心の揺れを制御し、安定したパフォーマンスができる行動習慣だった。その構えに入ることが、心を整えるスイッチだったのだ。
自分なら、すでに習慣になっていることだが、朝PCに向かってブログを書いたり、FBをアップしたりすることもそんな感じがする。できれば身体を使うことのほうがいいかもしれないが。
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からだがほぐれると発想も柔軟になる。
「嫌な気分を切り替える技術」齋藤孝著より。
さらにこの後には「自分の意見を絶対に通したい」とは思わなくなる、と続いていた。筆者は会議中でも、自分の頭やからだが強ばっていると感じると、みぞおちを揉んで緩め、肋骨を軽く揺すってみたり、肩甲骨を回して、とにかくからだをほぐすという。
これは実にいい方法だと思える。体が硬いと考えることが億劫になってしまう。
コミュニケーションといえば、リスポンスは単に会話だけではなかった。目を見る、頷く、相槌を打つなど体の反応もあった。しかし、体が硬いとレスポンスもいまくいかないらしい。対話とは体をつかって交流することでもあったのだ。気をつけねば。

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Dで始まる言葉は要注意。
「嫌な気分を切り替える技術」齋藤孝著より。
口ぐせは自分では気がつかないことがほとんどだろう。しかし、人からは気になるクセに見える。無意識のうちに「だけど、だって、だから、どうせ」などDで始まることばを発してしまう人もいる。
人の意見に対する反論の始まりのようにも思えてくる。また、「そうかもしれませんが、それはそうですが」など「が」をつけるのも同様だろう。聞いている相手は気分が良くないはずだ。