不幸のてんこもりだ。職場にいたって不幸は追いかけてきた。

「だれかのことを強く思ってみたかった」角田光代佐内正史著より。
この“てんこもり”という表現ひとつで、不幸がなんだかこっけいにさえ思えてくる。どうして自分にだけこんなに不幸なことが起こるんだろうか、となかばあきれ果てているかのような印象を受ける。
それは、家族や個人のことばかりではなく、仕事場にまで及んでいる。不運なことが重なってやってくることもある。言葉にもしようがないほどのこともある。本人にとってはまったくどん底だと感じることもある。
しかし、目をいったん世界に向ければそこには戦争の危機にさらされている人々、食糧さえ手に入らない人々、生きる自由を奪われている人々も大勢いる。生きていることだけでもたいへんなことだ。下には下がいる。不幸の底なし沼だと感じる人もいるだろう。
もし、不幸のてんこもりだ、と感じても「〜よりはまだまし」「〜よりははるかにましだ」と思えるかもしれない。自分は不幸だなんて言葉に出せるくらいなら、まだましなほうかもしれない。
そう思えば、じっとしているのがもったいなくも思えてくる。たまには怠惰な自分にカツを入れねば。(ムリかもしれないが・・・)