作戦を「練る」と「立てる」の違い。

「身体感覚を取り戻す」齋藤孝著より。
最近は「練る」という言葉を聞かなくなった。ここに「練る」のもともとの原義が紹介されていた。「糸・布・金属・土などを柔らかにし、あるいは粘り強さをあたえるために、強い力を加えて鍛えること」、とあった。
硬いものも一度柔らかくすることで、強さを出していくという手法が「練る」だった。体もふだんから意識して柔軟性を養っておかないと、とっさの時にすぐにあちこちを痛めてしまうのも同じことだろう。
さて、しばしば「計画を立てる」はよく聞かれるが「計画を練る」まではいかないことが多い。「作戦を立てる」も、ただ一つの作戦を案出するだけでも用いられる。
しかし「作戦を練る」となれば、いくつもの作戦を比較吟味して、それぞれの良い点を組み合わせるながら、よりレベルの高い作戦へとブラッシュアップしていく意味合いがでてくる。困難な場合もシミュレーションをしておけば対処できることもあるだろう。
だから、計画にしても作戦にしても、練ることをしなければ、単に思いつきのものは長続きやうまくいかないことが多いのだろう。文章にしても、よく練られたものは味わいがあったりするのだろう。どうしても、思いつきで書かれた日記などは深みが感じられないか・・・