情報は見つけやすいものほど価値が低い。

「すごい人のすごい企画書」戸田覚著より。
最近ではなんでもお手軽にネットで検索することができる。ということは、誰にでも同じような内容のものを見つけることができるということでもある。それだけでは価値は低いことになる。
知ったかぶりをしようと思っても、すでに多くの人にとっては目新しい情報ではないかもしれない。企画を立てる場合には、これを使ってはいけないということではなく、それを目玉にもってきてはいけないということだった。
価値があると思われるのは、相手のために足で稼いだ情報だった。むしろ手作りといってもよさそうだ。たとえば、自分でアンケートを考えて実行してみて、データを収集するなど。それは相手の利益を考えているからこそできることだともいえる。
やはり単にインターネットで収集した情報の組み合わせよりも、努力、工夫した企画書ほど受け入れられやすいだろう。意外なところでは、政府の統計や白書のなかの情報などは、利用価値がありそうだ。意外に宝の山だったり・・・
筆者は「手元にある情報や内容をどう組み合わせるか、それが知恵の使いどころだのだ。いわば演出ともいえる、とても楽しい作業である。」とも述べている。やはり楽しい作業と呼べるほどなら説得力もあるだろう・・・な。


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究極の企画書は「相手に考えさせる」力を持つ。
「すごい人のすごい企画書」戸田覚著より。
これは企画書を「読んだ相手が、自ら考え、企画の内容を自分で咀嚼して考えてくれる」というものだった。
ここに、ある通販カタログの例があった。「このラーメンはうまいと言われる本格品だが、クセが強くて筆者の口には合わなかった・・・」。
これは真実の感想だった。単に「うまい」と書き連ねてあるよりも、信頼性が感じられる。そして、読者はには「自分の口にあうのだろうか」考えさせる。(もし本格品なら自分も一度試してみたいなどと考えたり)
確かに真実が書いてあれば、相手はちゃんと考えてくれる。いいことばっかり書いてあると、逆に疑いが先にきてしまうもの。
客観的なデータも時には有益だろう。もし、自社製品に劣る点があれば、あえてそれを比較表で明確にしておくことも悪くはないようだ。それによって書いた人が信頼される可能性もあるだろうし。


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一流のスポーツ選手や芸術家にのみスタイルがあるわけではない。
「身体感覚を取り戻す」齋藤孝著より。
日常生活でも生きるスタイルとか仕事のスタイルというものはでき上ってくる。その人の仕事のスタイルはいいとか悪いとか。結局、営業ならその結果が問われる。いい場合はスタイルと呼んでいいかもしれないが、悪い時は癖と言われるかもしれない。
「かたくなであるという癖も、頑迷に映る時は癖と見なされ、“一本筋が通っている”と映る時は技と見なされる。」と筆者は述べている。人柄にもよるかもしれないが、これは誰にでも共通して考えれることでもあろう。
かつてトルネード投法で知られメジャーで活躍した野茂英雄投手は、誰にも真似のできないスタイルで素晴らしい実績を残している。つまり身体のひねりを技化したいい例だともいえよう。
もし、野球を始めたばかりの選手がこのような投法をしようものなら、すぐにコーチから矯正させられるだろう。しかし、プロでそれなりの実績がともなえば、誰にも負けない強みともなっていたのだ。
人との接し方、コミュニケーションのとり方にもそれぞれの癖がある。それがいい結果をもたらすなら技となり、結果的にその人なりのスタイルが形成されていくようだ。

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「僕は一番表紙に力を入れている」
リクルートのDNA」江副浩正著より。
この本のサブタイトルは“企業家精神とは何か」となっていた。自らの体験談が多く盛り込まれていて興味深い。しかも自身が逮捕されたことまでも述べている。
さて、上記フレーズは江副氏が東大新聞時代に、扇谷正造さんに、「週刊朝日」を初めて百万部の週刊誌にした秘訣を聞いた時に言われた言葉だった。
それは江副氏にとっては意外な言葉だったらしく印象に残っていたようだ。扇谷さんは「表紙だよ。書店に来た人は最初に表紙を見る。僕は表紙に一番力を入れている」と答えたそうだ。
人でも第一印象は顔をはじめとする外見で判断しやすい。実際にその人がどんな人かはその後のことだろう。つまり本や雑誌では内容に当たる部分だ。
とにかく手にとってもらうためには、表紙に力を入れることが先決だった。そこで、江副氏は一流のデザイナーに会社案内の雑誌の表紙デザインを依頼ていた。やはり思わず手にとってしまいたくなるような表紙はあるだろう。
ホームページならそのトップページだろうか。それによって、中身をのぞいてみたくなるようなものもある。ブログもかなり豊富に規制のデザインが用意されていて、自分のその時の雰囲気にあったものが使われているのかもしれない。

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リクルートの入社案内」を四日間の合宿で作らせる・・・
リクルートのDNA」江副浩正著より。
これを作るのは入社内定者でだった。入社前の研修期間中に行われていたのだ。実に画期的なことでもある。まだ社会人にもなっていな学生に、その会社について書かせるというのは実に意表をつくことだ。それを人事マネージャーの前で発表させ、優勝チームを決めていたのだ。
つまり書くためにはいろいろと取材しなければならなくなる。それを通じて会社のことについて深く理解をしてもらおうという意図があるのは当然だろう。同時に新入社員同士の連帯感も高まったようだ。(実際は学生だろうが)
また、一方でこの内定者研修で入社辞する学生もいたようだ。それは会社の方針が内容が理解できたということかもしれない。しかし、この研修で入社前と後のギャップが少なくなったともいえるようだ。
やや蛇足になるが、氏はこんなことも述べている。「事件で私が逮捕された年、・・・約一千名の内定者がいたが、入社辞退率は五パーセント、と予想外の低率だった。・・・」。
それにしても、一千名の採用とはすごい人数だ。また今では会社側からの内定取り消しなどが行われいることから考えれば、辞退者がいること自体が不思議に思えてくる。
ところが、当時は事件の影響で内定者の半分以上が入社辞退するだろうとみていたが、内定者研修のおかげで五パーセントで済んだと述懐している。今なら内定取り消しの前に辞退者が出てくれれば会社は大喜び・・・?