長続きの仕組みは「気張らない」に尽きる。

「考える技術」渡部昇一著より。
つまり、できるときにやる、できないときはやらずにすませる、ということだった。ダイエット、英会話、スポーツジム通い・・・これらは自分に課したスケジュールに追い付けなくなって、息切れして辞めてしまうことが多い。
渡部氏自身は、真向法(体操の一種)や書道を趣味としてやっている。しかも、その年数が30年というからちょっと驚きだった。それほど長くできたのは、「毎日必ずやらなければならない」という強制的な考えを自分に課さなかった結果なようだ。
無理をしない方が、物事は長続きするのは当然だろう。氏は真向法を継続しているから喜寿(77)を過ぎてもまだまだ体は柔らかいという。それも長年の練習の成果だった。
結局のらりくらりでも長続きしていれば、それなりの力はつくようだ。私ごとでは、まだ短いが一年前より15分エクササイズというのを思いつきで始めてみた。毎日というわけではなく、週に5,6回のときもある。また体調が悪い時は決して無理をしない。
すると、以前に比べて腰の痛みがほとんどなくなっていたことにも気づく。はやり思いつきでも朝の15分のスローエクササイズ(メインはラジオ体操)をやるとやらないでは身体の軽さが違うようにも思える。(気のせいかもしれないが)

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「難しくとも面白くなるのが仕事、楽でも飽きるのが遊び」
「考える技術」渡部昇一著より。
このフレーズはスイスの哲学者、カール・ヒルティ(1833〜1909)の考え方だった。社会人になって仕事を始めると、いろいろと新しいことを覚えなければならず、苦労するものだが、慣れるに従って面白みもわかってくる。
もちろん自分に合っていなければ、仕事の面白みを感じることは少ないとは思えるが。また仕事での達成感が味わえればそれも面白さと似通っていそうだ。
プロのスポーツマンではそのスポーツで成果を出すことが仕事となってくるはずだ。とくに苦しんだ末試合で勝利をおさめた時の喜びは見ていてもその興奮がよくわかる。
遊びの場合は、簡単に(楽に)上達してしまうものほど、すぐに飽きがやってきたりする。そしてまたやりたいと思う気持ちになるまで時間がかかる。誰もがすぐに上達してしまうものほど面白みが少ないのかもしれないな。
結局、仕事に面白みを感じられるようになれば、かなり得な人生を送っていると言えるのではないだろうか。そこまでの気持ちになるまでは、長年の経験が必要だろうが。。。。


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心は必ずかたちにして表す。
「考える技術」渡部昇一著より。
モノよりも心ではないし、心よりモノでもなかったのだ。よく、心さえあれば〜などと耳にすることはあるが、やはり相手に明確に心を伝えようと思えば、モノを添えるのが一番手っとり早い。
自分の心をモノで表現することは非常に重要なことだと筆者は述べている。モノを添えることで、人間的な関係も一層強めることができる。渡部氏は「気持ちや心は、相手には見えないという致命的な欠陥を持っている」とまで述べている。
だから、心のこもった手紙を書くことでも深い人間関係はつながっていく。手紙を書こうと思えば労が必要になってくる。手紙は気持ちを表すモノだった。
気持ちをモノで表現する技を知っているかどうかは、意外にも大事なことのように思えてきたな。ここに名言があった。「長者の万灯より貧者の一灯」(長者の虚栄心からくる多くの贈り物より、貧者の真心のこもったわずかな贈り物の方が勝っている、という意味だった)
恩を受けたら、一通のお礼状を書くというのも、習慣にしておかないといけないのだろうな〜〜〜(そこに粗品が添えられればなおいいのだろうが)