インフルエンザは風邪とは全く別のこわい病気だ。

朝日新聞」2009.1.20付けより。
社説の部分にあったワンセンテンスだった。もちろん多くに人はそれに気づいていることだろう。しかし、過去に大流行したインフルエンザを「スペイン風邪」と呼んだために誤解を招く原因になっているかもしれないとあった。
数日前から東京都町田市の医療施設で、職員も含めて100人以上がインフルエンザに感染して3人が亡くなったことがニュースでも伝えられている。この社説ではインフルエンザについて、“流行本番へ備え急ごう”というタイトルになっていた。
インフルエンザは毎冬流行しているが、新型のものも出現してくるので恐ろしい。上記の病院では患者、職員の9割がインフルエンザのワクチンを打っていたにも関わらず大規模な集団感染だった。私たちができることは少なくとも普通のインフルエンザに対する備えだろう。
ところで、医院に行くとほとんどどこでもインフルエンザの予防接種は受け付けてくれる。そこで、気付いたことが2つあった。(その1)それは医院によって値段がまったく異なっていることだった。一年前に地元の整形外科で打った時は4300円だった。今月の初め胃腸科では2100円だった。家族は別の整形外科で2500円、仕事の同僚は内科で3900円。また知り合いの整形外科では3500円だと言っていた。
注射の中身は同じだと思うんですがねぇ。(その2)、また注射と言えば、痛いものと思っていたが、今年の胃腸科の医師は打つ前に痛くないと言っていたが、実際まったく痛みを感じることはなかった。それは針も細かったと思うが、注射の仕方によるものらしい。
インフルエンザの流行がピークに達するのは今月末から来月初めにかけてらしい。ちょうど受験シーズンと重なりそうだ。自分のため及び周囲の人のためにも、感染しないようにワクチンで予防だろうな・・・

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ブログは個にとっての大いなる知的成長の場である。

ウェブ進化論梅田望夫著より。

この本は数年前に出版されベストセラーになってはいたがその時には読まなかった。なんだかとっつきにくそうなタイトルだったからかもしれない。しかし、実際に読んでみるとわかりやすく書かれていた。
その中で気になったのが、上記フレーズだった。それは梅田氏自身の実感だろう。自分が発信する情報やアイデアによって、不特定多数の人達との交流が図れるのは個人にとっても有益なことでもある。
とはいっても、思いつきでブログを始めて短期間で辞めてしまっては人とのつながりもできないだろう。何かが得られると感じられるのは、やはり人との交流があって初めて実感できる。
しかも、ブログの場合何と言っても無料で簡単に更新できることがありがたい。もしホームページを立ち上げて、連日更新しようと思えば、かなり時間も取られてしまうし、継続はできないだろう。実際、8年前にホームページを始めたものの、更新はたまに気まぐれでしかやらなくなってしまった。
どんなことも面倒くささがともなうと継続できないもの。梅田氏は「ブログこそが自分にとっての究極の知的生産の道具」とも感じているようだ。たしかに、自宅でも職場でもケータイからでもアクセスできるのはありがたい。
継続するには、やはりシンプルが一番かもしれないな。でも、私の場合はなかなか知的に成長している実感はないなぁ〜〜(頭を使うのが嫌いだからかもしれないが)


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バーチャル研究室”
ウェブ進化論梅田望夫著より。
この表現はちょっと面白いと思ったので記しておいた次第。梅田氏は現在はビジネスの世界で活躍している。しかし、かつては大学に残り、「自分の研究室(ゼミ)を持って、学生たちと一緒に知的生活を送る」のが夢だったようだ。
もうそんな研究とは縁が切れたかと思っていたようだが、今ではネット上に“バーチャル研究室”ともいうべき存在を持っている。つまりそのおかげで本業のビジネスのほかに極めて充実した知的生活を送れるに至っているという。
それは、ブログだったのだ。そこでは日々の勉強のプロセスを公開していったという。これが、前日も触れた「知的生産の道具」と言うことだろう。すると毎日読む人が5000人になったようだ。
もちろんそれだけの読者がいるということは、当然ながら中身の濃い内容を発信していたからこそ可能だったのだろう。勉強したい人にとって、ブログは“バーチャル研究室”にもなりえたのだな。


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放置すれば人は、年を取るにつれてどんどん保守的になっていく。

ウェブ進化論梅田望夫著より。
若いころであれば、もっといろいろな冒険もできたのにと思うことはあるもの。実際はその時はそれほどの冒険もしてなくてもそんなふうに感じてしまうことはある。でも、中には何であんな無鉄砲なことをしたのだろうと思えたり。
仕事に関して言えば、年をとればそれだけ経験を積んだともいえる。だから20年、30年前と比べれば、モノは見えているはずだ。すると逆に見えている分だけ未経験なことにはネガティブに判断してしまうこともありえる。
余計な情報(経験)があるばかりに、臆病になってしまうことがある。こうすればきっとこうなるという経験がものごとの判断を鈍らせる。その消極的な態度や慎重過ぎることがものごとをつまらなくしてしまいそうだ。
かつては怖いもの知らずにできたことも、今ではできないことの方が多いかもしれない。しかし、梅田氏は時には意識的に「若さ」と「勢い」を取り戻さなければいけない、とも感じているようだ。
逆に年齢を重ねたからこそできるチャレンジ、というものを発見できればいいのかもしれない・・・な。20代、30代ではできないが、50代、60代ならできることってなんだろう・・・