直せばいいものができるってものでもない・・・

「メトロポリターナ」2009.2.16号より。
こう言っているのは脚本家でヒットを飛ばしている宮藤官九郎だった。先ごろはオリジナル脚本を書き監督までやっていた。先週その映画『少年メリケンサック』を見てきたが、実に生き生きとして笑える作品になっていた。
一般には脚本は何稿にも及ぶ書き直しが必要だと言われるが、この作品では3稿で仕上がったという。それは自分で映画を撮るということもあり、その場で直していけるという自信もあったのかもしれない。
また、あまりにも書き直しを重ねるともとのよさや面白さがなくなってくるとも感じていたようだ。要するに手を入れすぎてカドが取れてしまうのを恐れたのだ。むしろ映画のなかでは言葉はその場のノリでほとんど自由に叫びまくっているようにも感じられた。
それが、パンクというものなのかもしれない。主役の宮崎あおいのノー天気OLぶりは実によかった。泣き、笑い、話す、怒る、走る、どれも体全体で表現していた。
佐藤浩市木村祐一などが真面目に演じるほど笑えてきた。ここには、宮藤監督からは次々とアイデアが飛び出して、笑いの絶えない現場だったともある。映画を観てもそんな雰囲気は伝わってくる。
「パンクには何かをしたい、せずにはいられない、という“衝動”と“欲求”がある。そして、それは誰の中にもあるはずだ。」とも宮藤は語っていた。彼自身それを実践するかのように、脚本家、映画監督、俳優、ミュージシャンといろいろとチャレンジしている。荒削りだからこそよりリアルに面白さが伝わってくることもあるのだろう・・・な。


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“10年いっちょまえ説”
「メトロポリターナ」2009.2.16号より。
これは「咲かせるための、日々のココロエ」というタイトルで糸井重里さんが語ってるなかにあったもの。もともとは吉本隆明氏の言葉だったようだ。
つまり、どんな仕事でも、10年間毎日休まずに続けたら必ず一人前になれるという意味らしい。この10年とは糸井さんが『ほぼ日刊イトイ新聞』を開設してから一日も休まず10年間更新し続けたからだった。
糸井さんは「毎日やることは“へんになる”ってこと」だともいう。だから、その道のプロというのは、みんなどこかへんらしい。つまり、ひとつのことを毎日繰り返していくと、うまくいくように変形してくるのだという。逆にいえば、世の中は変形してない人がほとんどだともいえる。
かつて何度かこのサイトを覗いたことはあるが、情報量があまりにも多すぎて、迷子になってしまうほどだった。実際には糸井さん以外の執筆人のほうがはるかに多い。そして、このサイトから生まれたのが『ほぼ日手帳』だという。
そこにメモした普通の日の“何でもないこと”は可能性の宝庫だとも語っている。メモから多くの仕事が生まれたというが、やはりそこはクリエーターを感じさせる。仕事以外で10年も続けていることってあるだろうか、とふと振り返ってしまった・・・

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単線で走ってきた人生を複線化してくれる。
「レジェンド伝説の男白洲次郎」北康利著より。
この複線化してくれるものは何かといえば、ここではこのフレーズの前にある“結婚というものは”となっていた。
白洲次郎と正子は、とくに正子の親には歓迎されなかったようだ。しかし、「白洲さんと一緒になれなかった家でします」とまで正子は宣言して、強引にゴールインしていた。
そして、正子側の人脈には近衛文麿吉田茂といったような人物もいたのだ。これを称して“人生を複線化”と筆者は表現していた。
この複線化とはやや異なるかもしれないが、別に結婚に限らず、たまたまある人と親しくなって、その人の側に自分にとって影響の大なる人がいれば、そのことで人生の転機が訪れるかもしれない。
また、身近なところではネットでの交流もある意味人生を複々線化してくれるともいえないだろうか。それは、自分一人では思いつかなかったようないくつもの貴重な意見に出会えたりするからだ。
まずはウェブを通じて自分から何か意見を発する、情報を提供するということを継続すれば、いずれ何らかの形で返ってくるような気もしているが・・・


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広告はまず、人を驚かさないと気付いてもらえない・・・
「Pen」2009.3.1号より。
当たり前すぎる広告だと印象に残らない。気づいてもらえなければ、もしかしたら無駄になるかもしれない。テレビのCMも面白ければ見てくれるもの。15秒は短いようだが、それだけでいろいろなイメージをあたえることができる。
佐々木宏さんは独立しているが、クリエイティブ・ディレクターをしている。佐々木さんはどうでもいいCMが流れると、情けなくなるとも語る。観た人に対して「キレイだな、カッコいいな、面白い!」などの印象を残せないと、本当に申し訳ないという。
そして、彼の作るCMはさすがに印象に残っている。たとえば、ソフトバンクホワイトプランで白犬がお父さんという設定の一連の「ホワイト家族」シリーズだ。毎回あのお父さん(白犬)は、どんな動きで何を喋るのだろうかと興味深い。
また、江崎グリコの「サザエさんの25年後」を描いた「オトナグリコ」のCM。サザエさんはもともと国民的な漫画だという前提で作られている。カツオ36歳、タラちゃん28歳、イクラちゃん26歳。「あ、大人になってる。」というところが新鮮に映る。
さらに、サントリーコーヒー飲料のBOSSのCMでは「働く男の相棒」をテーマにしている。アメリカの俳優、トミー・リー・ジョーンズの日本のさまざまな現場で働いている設定だ。その本人が真剣な表情ほど面白く感じられる。
やはり広告もこんなふうに、CMも意表をついてくれないと面白く感じないか・・・な。それを発想する現場の方はかなり苦しかったり、厳しいとは思うが。


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おくりびと』以外の映画を観ていたが・・・

本場アカデミー賞では外国語作品賞を受賞した『おくりびと』が注目されている。その影響でますます映画館に詰めかける人は増えることだろう。
そんなこととは関係なく、この1週間で2本の作品を観てきた。1本は数日前に触れた『少年メリケンサック』だった。宮藤監督作品というところに注目していたが、パンク(ロック)を25年ぶりに再結成する中年オヤジの姿には、予想以上にユーモアが盛り込まれていた。
そして、もう1本は『旭山動物園物語』だった。これは、西田敏行が主役ということだったので、ぜひ観たいと思っていた。今、日本で最高に演技がうまいと思っている俳優でもあるからだ。
また、もうひとつの理由は数年前に『陽はまた昇る』という同じく西田が主人公を演じた作品を観ていたので、それとの比較も興味深かった。『陽はまた〜』ではビクターの横浜工場に左遷させられた事業部長役で、ソニーのベータ方式とビクターが開発したVHS方式の統一規格をめぐって、勝利するまでが描かれていた。
成功物語という点では実に『旭山動物園〜』とよく似ている。旭山動物園もほとんど閉鎖寸前まで追い詰められて、苦労の末日本一の来場者を記録するまでの成功物語だった。
むしろ、どちらもかつてのNHKの番組「プロジェクトX」を映画化したものにさえ思える。いくつもの困難を乗り越えて目標(大きな仕事)をやり遂げるというところは全く共通しているともいえる。主人公が退職し去っていくエンディングはまったく同じだった。
『陽はまた〜』のほうは最後に感動して涙が止まらなくなってしまうほどだったが、『旭山動物園〜』では動物園の企画が成功して来場者が増えるまでが、あまりに急展開過ぎた感じもした。そのせいかややもの足りない印象が残ってしまった。いずれにしても、西田敏行は似たような役どころを見事に演じていたな。さすがだと感じさせる。