独創的なアイデアというのは、もともと非常識で突拍子もないこと・・

「考える力、やりぬく力私の方法」中村修二著より。
先月ノーベル賞を受賞した著者により2001年2月に発行された本だった。ということは実際に書かれたのは14年も前ということになるのだろう。
もうその前から、ノーべル賞級の大発明をして、その賞に一番近い人と言われていた。と言うことからも、受賞までにはかなりの年月が費やされたことがわかる。
青色発光ダイオードが実用化、製品化して世界中に広まる前に時間がかかったのだろう。今ではどこにでも身近なところで目にすることができるし、常識になっている。
上記のフレーズは筆者の経験からはっきり言えることのようだ。常識的なアイデアを元にしたビジネスでは決してビッグビジネスにはなりえないともいう。
極端な表現もあった。それは“アホな考え”の中にこそ、独創性の芽が隠されているということだった。だから会議で通りそうなアイデアではまだまだ不十分だということのようだ。

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“孤立”を誇りに思え!
「考える力、やりぬく力私の方法」中村修二著より。
中村氏も初めから、非常識にばかり考えていたわけではなかった。大発明の10年ほど前までは、一生懸命に常識的なことをやってきたという。
いろいろな資料を当たれば、それなりに参考になりそうな論文や資料にも当たったそうだ。しかし、それで安心しているうちは何も新しいものはできないと考えたのだ。つまりそれでは独創性に欠けてしまうからだった。
だれもやっていないようなことで、むしろ「お前はマヌケだ」といわれるくらい非常識なことを研究することを勧めている。
それこそが、独創的でとてつもない製品を発明する第一歩だと語っていた。非常識を怖がってはいけないのだ。

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独創性のある仕事をするために重要なことは、とにかく何でも自分一人でやるというスタイルだった。
「考える力、やりぬく力私の方法」中村修二著より。
何度会議を開いても、独創的なアイデアは生まれないと氏は考えていた。むしろ一人なら何を考え、準備しようと、また馬鹿げた製品を模索しようが、それは自由だったと振り返る。
他人の意見に従うのではなく、徹底的に自分の判断に従うことが大事だったようだ。ここでのポイントは一人で行うということだった。
氏は周囲の雑音をなるべく耳に入れないようにしていたのだった。そうすることで、結果が出なくても自分の研究にに集中できるからだった。
何かを完成させようとするには、自分流を徹底して貫くことだった。それは一つの製品を自分の手で完成させることから自分流は生まれるというのだが、これには共感できる。
氏は自分が職人になったつもりで、装置から作っていた。そうすることで自分独自のノウハウを身につけることができたのだ。

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