素人だからこそ常識を超えた発想ができる。

素人だからこそ常識を超えた発想ができる。
「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。
安藤氏はかつて製麺機に触れた時に、指の1本を切断してしまうことがあった。医者からは縫い合わせてもつかないだろうといわれ、化膿すると大変だから切断をすすめたのだ。
しかし、安藤氏は自分の指だから、かまわない、くっつけてくれと頼んだのだ。指はちゃんとつながって、のちに始めたゴルフにも支障のないほどだったという。
それ以来、たとえ医師や弁護士であっても専門家の言うことを鵜呑みにしなかったそうだ。そこで、素人の発想が正しいこともあると考えるようになったのだ。

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いい商品は必ず世の中が気がつく、それまでの辛抱だ。
「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。
今定番になってヒットしている商品でも、はじめから売れたわけでもなかった。地道な努力の結果でもある。1971年に自信を持って発売したものの、スーパーや小売店には並ばなかったのだ。
また本当によい商品なら、何かのきっかけで爆発的に売れるようになるのだ。カップヌードルもそうだった。売れないながらも、辛抱だと考えていた。
しかし1972年(昭和47年92月に起きた連合赤軍による浅間山荘事件で、雪の中で山荘を包囲する機動隊員がカップヌードルを食べているシーンがテレビに何度も写されたという。
日本人の10人に8人がテレビにくぎ付けになったという。そして、あの食べものは何だということで、カップヌードルに火がついたように売れだし、たちまち生産が追いつかなくなってしまったのだ。

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工業化できない特許には一文の価値もない。
「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。
なるほど、これは発明によりしっかりと実績を作った安藤氏だからこそ、力強く言えることなのだろう。実際発明品は多くても、それが製品として世の中に出てくるものは稀だそうだ。
また異議申し立ての多い発明ほど、その特許には実力があるとも考えていたのだ。知的所有権を独占せずに、公開して、世界的な産業にまで発展させた人は安藤氏だけのようだ。
1972年8月に東京、大阪、名古屋の証券取引所の一部上場していた。カップヌードルは日本生まれの世界食となっている。日本人の発明として世界中でこれからも売れていくのだろう。
後の名言としては、「事業化できないアイデアは単なる思いつきにすぎない」「本当のアイデアとは実用化されて、成功を保証するものである」とも述べていた。説得力のある言葉だ。

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腹八分目の食事と適度な運動。
「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。
しばしば長寿の秘訣を聞かれることも多かったらしい。その秘訣は当たり前のことだが、上記のフレーズの通りだと答えていたようだ。(96歳の生涯だった。)
実際に90歳過ぎても週に2回のゴルフは欠かさなかったという。しかも、年に100回以上のプレーをこなしていたというから驚きだ。
若いころから粗食で好き嫌いはなかったようだ。とくに旬の青みの魚が好きだったらしく、骨ごと食べていたという。
毎日インスタントラーメンを食べて長生きしているというのも誇張でもなかったようだ。運度はもっぱらゴルフだったそうだ。でも、誰でも毎週のようにゴルフをできる環境にいられるわけではない。個人ができる範囲の運動を継続するということでいいのだろう。