お金持ちだけれどもケチな人は、貧乏性・・・

「男は女で修業する」中谷彰宏著より。
お金がたっぷりある人はいるものだが、だからといって金払いがいいとは限らない。お金持ちと豊かさとは違うらしい。
お金持ちはどれだけ勝ったかということのようだ。そして、豊かさは、どれだけお金を使いきったかということらしい。いくらお金を貯め込んでも有効に使わなければ意味がないことになってしまう。
物理的にお金持ちな人よりも、精神的に豊かな人のほうがモテるらしい。そういえば、実際にお金を持っていそうな人だからと言って人から好かれるとは限らないようだ。身近でもむしろお金に大らかな人のほうが人気があるもの。
貧しいというのは、金銭的に貧しいというより貧乏性だということになるようだ。まあ、金持ちになれないならせいぜい使って楽しみたいもの。それで精神が少しでも豊かになればいいかな。

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ムダ使いをしないと、お金に対しての執着心が取り払われない。
「男は女で修業する」中谷彰宏著より。
この部分のはじめは次のように始まっていた。「オヤジは役に立つ使い方はできますが、ムダ使いができません。・・・」と。そういえば、私はとっくにオヤジですが、ムダ使いはけっこうしてしまう。使いもしないのに、衝動買いをしてしまったりする。
その時はムダだと思って買ったモノや費やしてしまったモノもあとから考えると、それでよかったかもと納得できたりもするから不思議だ。中谷氏はお金に執着し始めると、お金は増えないと言っているが、そればかりか楽しめるチャンスも失ってしまう気もする。
中谷氏は面白い表現を使っていた。それは、“「少年の心」と「大人の財布」を持つ男”だった。少年の心とは、自由でとらわれないという意味だった。また大人の財布とは、お金以外に、経験、知恵、知識、人脈などのデータベースも入っているという。
少年はムダ使いをするものらしい。子どもの頃を振り返れば、ムダ使いは楽しかった。お金を残すことなど考えなかったからでもあるだろう。大人になってもムダ使いしないようとばかり考えているとつまらないオヤジになってしまう(らしい)。気をつけねば。
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