使うお金が少なくなってくると、態度や発想は貧しくなってくる・・・

「人生の億万長者になろう」中谷彰宏著より。
サブタイトルは“道楽名人になる54の方法”だった。この本はかつて「道楽のススメ」という題で読んだことがあった。もしかしたら、フレーズは重複しているかもしれない。本のタイトルが変わっただけで2度買ってしまうことはよくある。それだけタイトルが魅力的だということかもしれない。
たとえ年収が増えたところで、それを使わなければ、態度も発想もかわらないようだ。結局いくら儲けたかより、いくら使ったかが大事なことのようだ。お金はあっても使えなければ意味がない。
人生が豊かであるということは、いくら使えたかでもあるらしい。中国では「貯」と「蓄」は別の意味で捉えていたのだ。「貯」は長年貯めていたお金「ストック」だった。また「蓄」は使っているけども残っているお金「フロー」だった。
「ストック」は銀行に入っているお金で「フロー」は財布に入っているお金のことだという説明があった。これはわかりやすい。銀行にあっても、いますぐ使えなければ、豊かではないということだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

仕事がうまくいかない人は、遊びもうまくいかない・・・
「人生の億万長者になろう」中谷彰宏著より。
なるほど、これは新鮮な考えだと思えた次第。仕事の失敗の原因は仕事にあったのだ。決して道楽をしているからではなかった。
遊んでも、仕事はできるものだった。遊びの時の時間の使い方、お金の使い方は、仕事でのノウハウとも共通していたのだ。
好きなことに投資しているお金は必ずノウハウとして蓄積されるようだ。だから、お金が出ていっても、それだけの価値はあるのだった。いずれ何らかの形で回収できるようだ。
逆に考えれば、お金や時間を使ってノウハウを蓄積しておかなければ、ノウハウはいつまでたっても蓄積されないということでもあった。
楽しみながらノウハウが蓄積されれば、実に効率的だとも言えそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
持っているお金ではなく、使うお金で出会いがある。
「人生の億万長者になろう」中谷彰宏著より。
つまりどれだけお金を使うかで、人間の出会いも決まってくるようだ。それは有意義な使い方をどれだけしているかにもよるだろう。
たとえお金持ちでも使っていなければ、それなりの人としか知り合えないということだそうだ。何となくわかる気がする。
筆者は、道楽とはお金を使って文化を手に入れることだという。実に前向きな考えだと思える。金を使って文化を手に入れないと、心の貧しい人としか付き合えなくなってしまうらしい。
人生が楽しいかどうかは、心豊かな人と出会えるかということでもあった。まずは、自分が心豊かな人間になる必要がありあそうだ。その第一歩はムダづかいすることだった。道楽はムダづかいだそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
気持ちよく払うと「生き金」になる。
「人生の億万長者になろう」中谷彰宏著より。
道楽というのは、お金を気持ちよくつかうことだった。たくさんでなくてもいいようだ。使える分を使えばいいだけのことだった。
「生き金」とは、使った金額以上のモノが身についていくお金だという。なかなか思いつかないが、説得力があることだ。
お金を渋々使っているなら、楽しいことではなかった。実にバカバカしいと思える。同じお金を払うなら、楽しい時間にしなければ損だろう。気持ちよくお金を使えているモノは、自分が本当に好きなモノだといそうだ。得るものがあれば、それでいいのだろう。
また、面白いことはお金を使うことは「マネーテラピー」になるという。それで、心が癒され、厄払いができればなおよさそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・