飽きやすい人こそ、“特訓”に向いている。

『結果を出す人の「やる気」の技術』齋藤孝著より。
誰でもやったことに対しての結果は出したいもので、気になるものだ。とくに試験などはそうだろう。仕事でもスポーツでも健康管理やダイエットでも同じことが言える。
ところが、誰でもがその努力をするのは苦痛と感じることが多い。いつまでその努力を続けなければ結果が出ないのかと思うと嫌になってしまう。そのうちに飽きてきてしまったりするものだ。
そこで、ある一定期間に限って集中的にやることで、その結果を出そうと考えるのもいいようだ。つまりそれが特訓ということになる。堪え性のない人も短期間ならできるだろう、というのが齋藤氏の考えだった。
むしろ飽きやすくて長続きしない人にこそ、特訓を勧めている。しかも、やらされ感がないように、自分の意思で目標と期間を設定するというのもちょっとしたポイントだった。どんなことも自ら進んでやればその気になるものだろうな。

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「特訓感覚」を身につけるというのは、バカバカしささえも自分の見方につけてしまうこと・・・
『結果を出す人の「やる気」の技術』齋藤孝著より。
齋藤氏自身の経験からのことで、これも面白い考え方だった。氏はへんてこりんな特訓もいろいろしていたようだ。手の指をどれだけ反らせることができるか。かつて指を反らせることでリラックス効果があると知ってから、鍛えれば柔軟になるのではないかと特訓したそうだ。
誰もそんなことは思いつかないだろう。また頭の皮をどう柔らかくできるのかと考えて頭皮マッサージをやりすぎて、頭から血が出てしまったそうだ。また息を溜める訓練をするため、駅から駅の間ずっと呼吸を止め続けたりもしたという。
どれもこれもバカバカしいことと思える。そんなことをして恥をかいたことも、失敗したことも、それなりの特訓を残していまに役立っているそうだ。場合によってはそれが自分の得意ワザにもなるのだろう。
他人にとってはどうでもいいことのようなことも、自分の中では特技につながることも多そうだ。それも好きで特訓した成果だろう。それは芸人ばかりではなく、日常生活でもちょっとした自信につながるかもしれない。

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やりがいのない仕事であっても楽しむことが大切・・・
『結果を出す人の「やる気」の技術』齋藤孝著より。
確かに日々の仕事がすべてやりがいがあるかといわれれば、そうでもないことのほうが多いかもしれない。それでも、仕事はやらなければならない。できるならその仕事を楽しみたいものだ。
はじめから「退屈な仕事」というものがあるのではなく、その人の気持ちの持ちようで、ある程度は面白くできるようだ。一見無駄だと思えるような仕事でも、あまり深く考える必要はないという。とにかく没入して技術を高めると思えばいいのかもしれない。
はじめから面白い仕事はないと思って、あとはそれをどうやって面白くできるか自分で工夫するしかないようだ。それもある程度の経験や余裕がないと無理な面もあるとは思うが。
筆者はどの仕事も「いま」に没入してやることが大切だという。ゾーンに入って楽しんでしまおうと考えればいいようだ。ここをもう少しこんなふうにしたらラクかな、速くできるかなど小さな課題に集中する感覚だった。

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「これも修業だ」という考え方は、自己肯定の一つのかたち・・・
『結果を出す人の「やる気」の技術』齋藤孝著より。
筆者は「修業」とは不合理を引き受けることだという。いろいろ見まわしてみれば、不条理、不合理、不公平なことなどはいくらでも出てくる。
たとえいくら努力したところで必ずしもそれが報われるとは限らない。むしろムダになることのほうがほとんどではないだろうか。だからといって文句をいってもしょうがない。
そんな時は「これも修業だ」と考えてしまったほうがいいようだ。納得できないことは実に多いものだ。投げやりになっても決して得にはならない。
もし修業感覚を身につけることができれば、強くサバイバルしていくことも可能なようだ。その発想が逆境を力に変えられると齋藤氏は考えていた。

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『結果を出す人の「やる気」の技術』齋藤孝著より。

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人生、即、芸術。絵を描く行為が芸術なのではない・・・
岡本太郎の仕事論」平野暁臣著より
これは岡本太郎の言葉だった。つまり作品制作は手段であって目的ではなかったということだった。太郎にとって作品は、自らの思想を込めて社会に送り出すためのキャリアー(搬送台車)のようなものだったと、筆者の平野氏は語っている。
これは実に新鮮な考え方だと思った次第。ふつうなら作品自体が芸術だと考えてしまうものだが、岡本太郎については、考え方、生きることそのものが芸術だったという意味だろう。
そういえば、さまざまな表現活動をしていた。絵画、彫刻、デザイン、多くの著作、書、建築・・・さらにテレビへの出演なども多かった。どれもこれもが自分自身を表現する、発言するための機会だったとも思える。
今更ながら岡本太郎自身の存在が作品だったのか、と言われればなんとなく納得できる気もする。太郎は職業を聞かれると困ったらしい。“本職?そんなのありませんよ。バカバカしい。・・・『人間ですね』”と語ったらしい。

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芸術は「無償のコミュニケーション」として放射されるべきものであって、商品ではない。
岡本太郎の仕事論」平野暁臣著より。
太郎はまず、太陽を引き合いに出していた。太陽は見返りを求めない。100パーセントの無償無条件だという。地球上の人間に恩恵を与えるだけの存在だからだ。
つまり芸術もそうあるべきだというのが、太郎の芸術論だった。絵は売らずにすべて持っていたという。太郎展をやれば、代表作品はどこでも観ることができたそうだ。
もしほかの作家のように絵を売っていたら、そういうわけにはいかない。とくに有名になればなるほど、作品は世界のあちこちに散らばってしまう。多くは金持ちやコレクター、企業に買われて一般大衆の前からは姿を消してしまう。ということは初めからなかったのと同じともいえる。
太郎の言葉があった。「銀行預金のようにしまっておく芸術なんて意味がない。金持ちに買ってもらうためにシナをつくる芸術なんて卑しい」と。実際売らないから経済的には苦労したことも多かったようだ。
経済を支えていたのは、原稿依頼、講演依頼、新聞の挿絵、デザインといろいろとあって、絵を売らずになんとか生活はできたそうだ。それにしても、自分の哲学を貫くのはすごいことだ。

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遊ぶことで新たな地平にジャンプしている。
岡本太郎の仕事論」平野暁臣著より。
それにしても、クリエイターとしての岡本太郎の活動範囲は広かった。最も有名なのがモニュメントとして残されている『太陽の塔』だろう。
絵画のほか、陶芸、グラフィックデザイン、プロダクトデザイン、インテリアデザイン、壁画などもあった。テレビCMにも出演していた。
かつて私も手にしたことがあるのが、底に顔が彫られているウィスキーグラスだった。こんなオマケの商品にもデザインを提供していた芸術家は少ないだろう。
どれもこれもインパクトがあった。テレビでも見たことがあるが、ツノの生えた釣鐘もあった。常識破りとも思える。これはあるお寺が制作依頼したものだった。
こんな初めての仕事を真剣な遊びととらえて、新たな表現世界の境地を切り開いていったのだろう。初めてのものも面白がって創ることができるのは、太郎の強みだったのだ。