「モナ・リザ」はまさに「西洋」という名の商品のコマーシャルをする

「踏みはずす美術史」森村泰昌著より。

モナ・リザ」はまさに「西洋」という名の商品のコマーシャルをする人気タレントではないか。
まずはこの本のタイトルが気になったので手にした次第。サブタイトルとして、“私がモナ・リザになったわけ・・・・”とあった。これは森村氏自身のアート作のことを言っている。
これは名画の中に自分がメイクや衣装をつけてその絵画の中に入り込んでしまうというセルフポートレイト作品という独自のジャンルを創りだしていたからだ。私も過去2回ほど氏の作品展を展示会場で観たことはある。また美術関連の本でもたびたび氏の作品は観ていた。
さて、「モナ・リザ」は実物を見たこともない人も、写真や美術の教科書で見覚えがあるはず。世界の絵画史上の最高に位置していると森村氏は語っている。つまりそれがイコール西洋絵画魅力にも通じるようだ。
森村氏は次のように面白い表現をしていた。・・・「モナ・リザ」とは、長きにわたって西洋美術(西洋文化)の素晴らしさを宣伝し続けてきたキャンペーン・ガールである。・・・こんな発想は初めてだったので気になった次第。

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「名画」、この言葉にはふたつの意味がある・・・
「踏みはずす美術史」森村泰昌著より。
こんな単純な言葉はあまり深く考えたこともなかった。一つは「名作絵画」という意味で、上手な絵ということらしい。デッサンもしっかりしていて、色彩感覚にも秀でた傑作ということだった。
もう一つは「有名絵画」という意味でも使われることもあるという。この場合は上手ではなくても、いいようだ。ヘタでも人に感動を与えることができればいいのだった。
この説明にさらに、一般的に身近な歌を引き合いにだしていた。歌が上手なことやルックスのよさが人気歌手の絶対条件ではないという。場合によっては歌唱力がなくてもヒットしてしまうこともある。
たとえヘタであってもじゅうぶん立派な表現となっていればいいようだ。それももすべて自分ひとりだけで成し遂げられるわけでもないだろうが。多くの人に支えられてこそなりたつものだろう。
よく絵画作品を展示会などで見るといったいこの作品のどこがいいのだろう、と思うような絵画に出くわすことがある。しかし専門家の評価ではそれも人に感動を与えるような名画といえるのだろう。観る方にもそれを観る力が要求されるのだろうな。

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善き教育と芸術的創造はかならずしも正比例してこない・・・
「踏みはずす美術史」森村泰昌著より。
森村氏自身の経験から、面白いことを言っていた。それは美術大学の受験の際、氏は幸か不幸か自分にとってはよくない先生に出会ってしまったという。そのためすすっかりヘタな絵しか描けなくなってしまったようだ。
そのため自身で「上手な絵を描く方法」の発見ができたという。そのおかげでこれまであまりみんながお目にかかったことのない作品を創造できる芸術家に慣れたと振り返る。
もし氏がデッサンが上手な画家になっていたら、たんに上手なだけで魅力に欠けたテクニシャンから脱却できなったかもしれないと自己分析していた。
悪い教育が氏のオリジナルな芸術的創造につながっていたというのは皮肉な結果だと考えていた。しっかりと勉強して基礎が出来上がったからといって、それが必ずしも人に感動を与えられるとは限らない。
よくタレント活動をしていて、美術学校で学んだわけでもないのに、インパクトのある作品を描いたりしている人もいる。むしろだからこそ、独創的な作品ができるのかもしれないな。時には素人の作品のほうが新鮮にも見えることもあるし。