「観、考、推、洞」という言葉。

「モノの値打ち 男の値打ち」藤本義一著より
筆者は物を見たり考えたりする場合には上のようなことを念頭に置いておくらしい。その4つにはすべて「察」がついている。つまり、観察、考察、推察、洞察のことだ。
花を見たときを例に挙げている。「きれいな花だな」と思うことは観察だ。「なぜ、こんな所に咲いているのか」「この花は高山植物に分類されるのか」は考察になる。しかも普通の人はここまでだという。
作家の感性にはさらに先がある。ここからもう一歩踏み出して、同じ標高に別の花があるはずだと探し回るのが、推察になる。そしてここまで一輪の花に執着すると、花が単に植物の域を越え、人格化してくるらしい。花の様子を人生にたとえてみたりする。これが洞察になる。
物の見方、接し方の態度によって物を深く見ることができるのだ。作家は一般の人たち以上に心の目で物を見ているのだろう。それが「察」という一文字に表れているようでもある。
「察る」には、目に見えないものをみる精神の働きが必要になってくるのだ。そういえば心中を察するという言葉もあった。そんなところにも、自分を磨くヒントが潜んでいそうな気もする・・・な。