金を使う創造力が欠けていると人格が破綻してくる。

「モノの値打ち 男の値打ち」藤本義一著より
小学生によっては高価なエアガンという威力があるテッポウで遊んでいてもやがてそれには飽きてしまう。むしろ泥んこ遊びのほうが面白くなってくるものらしい。それは玩具のテッポウは既製品でそれ以上遊びとしての発展性がないからかもしれない。一つのものに飽きれば次のものに目が移っていくだけだ。与えられたものには遊ぶための想像力が働かないのではないだろうか。
むしろ、金銭を全くかけなければ、自分の創造力で楽しめそうな気もする。例えば、玩具のテッポウなら身近にある道具、紙、木(板)、竹、輪ゴムなどを使ってもできる。そこには創意工夫がこめられる。しかも、既製品のテッポウと違っていくつもいろいろなものを作ることが出来る。高価な既製品の玩具よりよほど奥が深いはず。
子供の世界だけではない。大人でも極端な場合はお金がステータスだと勘違いしてしまう。いくらお金を使ってもセンスがよくなるとは限らない。つまり創造力がなければ金は生かすことはできないのだ。筆者は金が単に物にバケただけなものは、“死に金”だという。
大金持ちが必ずしもリッチな人生を歩んでいるわけではないんですね。どうせ、お金持ちになれないならせいぜい創造力を働かせていかなければ・・・な。