文芸を含むすべての芸術作品は、受け取り手がいて成立するもの。

「作家の条件」森村誠一著より。
現役の人気作家が、作家の条件と題して書いているところが興味深く購入した一冊だった。これはエッセイ集を文庫本にまとめたものだった。個人的には特に20代から30代にかけて氏の推理小説はたくさん読んだものだった。
森村氏はここで面白いたとえを出していた。それは、画家がたとえがいくら素晴らしいと思える名画を描いたとしても、鑑賞者が一人もいなければ、画家とは言えないという。それは受け取り手がいないからだった。
また一人でも二人でも受け取り手がいれば、画家といえるかといえば、そうでもないという。やはりある程度まとまった受け取り手がいて、はじめて作家、画家、音楽家、アーティストといえるからだと語っている。
芸術とはいっても、世間である程度広く認められなければ、なかなかなじみにくいものかもしれない。無名の作家の本はいきなりは手に取りにくいものだ。芸術的創作物はその受け取り手が多いほど価値があるといえるのだろう。
ただし、時には本当に価値があるかどうかよりも、マスコミの宣伝によって人気があおられる場合もあるが。また口コミによってかなり左右される場合もありうる。高い人気イコールいい作品というわけでもないところが難しい。

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わずか十七文字によって膨大な歴史が描かれている。
「作家の条件」森村誠一著より。
もちろんこれは俳句のことだが、俳句自体のことの説明ではなく文章について述べられた部分で目にしたフレーズだった。文章には説明と描写と抽象があるという。
説明には客観性と正確性がもとめられ、描写の場合は主観がはいってくるものだった。
そこで、芭蕉の2つの俳句を引き合いに出していたのだ。「五月雨をあつめて早し最上川」は説明句の見本だった。つまりこれは情景の客観的な説明だったのだ。
それに対して、「夏草や兵(つわもの)どもがゆめの跡」は抽象句だった。空間の描写だけに止まらず、時間軸(歴史)が加わっていたからだ。これは完成度と抽象度が高い作品だった。
森村氏は、文章は抽象化が進めば進むほど高度になり、読み手にもそれなりの素養が求められると語っている。確かに見たり聞いたりしたものなら理解しやすいが、抽象的に表現されたものを理解するのはかなり難解なことがあるものだ。

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世の中の大半の仕事というものは、自己主張ができない。
「作家の条件」森村誠一著より。
すでに多くの方はご存じのように、森村氏は作家以前はホテルマンを職業としていた。そこで生みだされるものはサービスで、生産されると同時に消費されてしまうと表現している。作り出したものは形として残らないものだ。
あらゆるサービス業の仕事は形に残らないものではないだろうか。自己主張なんてとんでもない話だ。氏は十年近く従事しているうちに形のあるものを残したいと思うようになったという。製作者や製造者なら何らかの形に残るものができあがってくるだろうが。
とはいっても、世の中のほとんどは無数の誰がしたかわからないような仕事で成り立っているのだろう。個人の署名を残せるような仕事をしてる人はほんの一握りの人たちだけに違いない。
また、たとえ署名付きの仕事にあこがれたところで、実際にそれが実現できるわけではない。それにともなう実力と運に恵まれた人たちだけが、夢を実現できるのだろう。プロの作家は内部に醗酵するものがなくても書かなければならない、厳しい世界だ。

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一作書いても作家であり、だれでも作家になれるが、作家であり続けるにはそれなりの覚悟を強いられる。

「作家の条件」森村誠一著より。
現在、文学賞と名のつくものは地方自治体が設定してるものを含めて、約350もあって、年間受賞者、平均500人いるそうだ。このうち生き残っていく作家が3人ないし5人と言われるという。
一度プロの作家になったとはいえ、それを継続することは難しいようだ。読者がいなくなれば、もう作家とは呼べないだろう。読者は気まぐれで、いつも同じ作家だけを支持してくれるわけでもない。
常に書き続けなければならないのがプロの作家で、空のチューブを絞り出すようにして書かなければならないようだ。そこから生産されたものが常に水準を維持していなければ世間は認めてくれない。
森村氏はここでもまた面白い表現を用いていた。「アマチュアの作家は自分の中に発酵したベストのクリームを作品化する。だが、プロの作家はそうはいかない。・・・」と。
そして、また土方歳三の有名な言葉を引き合いに出していた。「道場で強い者が実戦で強いとは限らないが、道場で弱い者は実戦でも必ず弱い」。どこかで聞いたような気もする。これはいろいろな仕事やスポーツにもあてはまりそうな言葉でもあるな。