国民のだれもが否定することのできない国民作家・・・

「作家の条件」森村誠一著より。
森村氏は時代と共に生きた人間がいるという。その中で昭和という時代と共生した人間として思い浮かべるのは、(氏にとっては)石原裕次郎美空ひばり、作家の松本清張だった。そして松本清張を論ずることは、戦後の昭和文芸だけでなく、戦後の昭和そのものを論ずることでもあると考えている。
作家以外では昭和という時代を思い出すときはそれぞれ、いろいろなヒーローがいるだろう。力道山、長嶋、王、司馬遼太郎吉永小百合なども入るだろうか。しかし、作家となると、やはり松本清張は外せないだろう。
清張文学は幅が広い、社会派ミステリーが中心だが、デビューは芥川賞作家だった。時代・歴史小説、古代史、ノンフィクション、評伝まである。膨大な作品群は今でも豊富に書店に並べられ、映像化もされている。
森村氏は、清張ほど時代に求められ、そのニーズにジャストミートする形で登場した作家はいないとまで語っているが、これは誇張ではなさそうだ。一時期は、月産二千数百枚を誇ったという。今でもこれほどの作家は考えられない。
松本清張はお上の褒章をなに一つ受けていないというのも意外だった。作家にとっての最大の勲章は、作品を多くの読者と共有することだと森村氏は語っていた。作家は読者を楽しませてくれればそれで十分だ。これは実にわかりやすい。上記フレーズは、「松本清張反権力の栄光」と題して書かれている部分で目にしたものだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

読者は清張作品が読者自身をモデルにしたような気がした。
「作家の条件」森村誠一著より。
これは「昭和と共生した作家」と題して書かれている部分にあったフレーズだった。前回も似たような言葉で触れたが、松本清張は活字に飢えた読者の前にオピニオンリーダーとして登場したと森村氏は語っている。
それまでの探偵小説とは異なり、動機を重視したミステリーになったからでもあった。それは読者に新鮮なカルチャーショックをあたえたようだ。
昭和という時代、特に戦後だろうが、その混乱期の社会の縮図を巧妙に精密に描き出した作家はやはり清張が筆頭だろう。また清張の幸運は、日本映画の最盛期ともジャストミートしたことだと、森村氏は指摘している。
彼の主要作品はほとんどが映画化されている。だから、たとえ本を読まなくても映像化された清張の作品世界に触れていることになるのだ。テレビでも、毎年のようにドラマ化されている。
ミステリーには事件はつきものだが、それらが一般の人々のすぐ近くでも起こったことや、起こりうることをリアルに描いているという意味で、“読者自身をモデルにしたような”、という表現を用いたのだろう。松本作品を読むとき、いつも膨大な取材、情報分析を感じるものだ。だからこそリアル感が迫ってくるのだろうな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

仕事部屋の気圧は、居間や食堂よりも高い。

「作家の条件」森村誠一著より。
実に面白い表現に出くわした。ふだんあまりこんなことを感じたことはない。自宅で仕事をする作家ならではのことだろう。または自宅を仕事場として使用している人はそう感じるのかもしれない。
もし、一般の外に勤務する人たちなら、ここでの仕事部屋とは職場のことになるのだろう。そう置き換えるならばわかりやすい。毎日職場に行くならそれほど感じられないことだが、数日間の連休のあとでは仕事に臨む際には緊張するものだ。それを気圧とも考えられる。
森村氏は、気力、体力が衰えているときは、仕事部屋に入ろうとしても高い気圧にはね返されてしまうような気がすると述べている。なんだかわかりそうだ。どんな仕事もある程度気力、体力が充実していなければ、いい結果を望めないものだ。
脱サラをして作家になった人や自営業、自由業の人はみな、定期健診がないから、自分で健康管理をしなければならない。そこで、氏にとっては“私の健康法「飽きない秘訣」”というものがあった。
それらはまず、歩くことで、その際途中医者に寄ることもあるそうだ。またデジカメを携行して俳句とともにホームページにアップするという。「写真俳句」を考案し提唱したのは森村氏だったのは有名だ。
これら「趣味と実益と健保の三点セット」をやっていることが、飽きもせずにつづけられる秘訣だと考えている。参考になりそうだ。いずれにしても、いつも職場の気圧を低く感じていたいものだな・・・