ゆとりのない男には魅力がない。

「男の品格」川北義則著より。
数ヶ月前に購入した一冊だったが、再度読み返してみると実に気になるフレーズがいくつも目にとまった。それらを数日間かけて触れてみたい。
まずは、普段ほとんど使ったことのない言葉「品格」について、ウェブの辞書で引いてみた。そこには次のように出ていた。・・・“その人やその物に感じられる気高さや上品さ。品位。”と。
実にすばらしいことだが、自分にはどれほど備わっているだろうかと振り返ってしまう。筆者は「日本の男たちに足りないものは“ゆとり心”で、それはまた“遊び心”にも通じる」というようなことを言っている。
ゆとりがないと、視野も狭くなってしまう。結果的には創造的な仕事などもできるはずがないということだとも述べていたが、これは実に納得できる。確かに魅力あると思える人にはゆとりが感じられる。
そして、「目の前にあるものをすぐにとりに行かないのが品性」だと作家の伊集院静さんも言っているそうだ。品格、品性を磨いていくには「ゆとり心」を身につけることだポイントのようだ。

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「まじめな努力」がもたらす仕事の成果は、平均レベルを出ない・・・
「男の品格」川北義則著より。
これは脳の研究からもわかってきたことらしい。ここでのタイトルは、“仕事上手になりたければ遊び上手になれ”だった。これもまた気になるフレーズだ。
「遊び心」のない人間は、仕事も中途半端にしかできないだろう、と川北氏は述べていた。要するに、まじめ一方だけではもうダメらしい。
現代ではまじめにコツコツやるような仕事は、コンピュータがやってくれる場合が多い。むしろ人間は着想、決断、創意工夫などのほうが大事になってきている。
もし、人に抜きんでた成果を上げようとするなら、従来とは別の方法をとらねば無理だということのようだ。つまり、仕事にも遊び心、ゆとりをもって臨めという意味だろう。
分析機器トップメーカー、堀場製作所の創業者の堀場雅夫さんは、「企業はおもしろおかしい体質をもっていなければいけない。…」とも述べていた。そこではもちろん従業員のゆとりがポイントに違いない。

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遊びにはお金がかかると思っている人は、「お金を使う遊び」しか頭にないから・・・
「男の品格」川北義則著より。
もし、そう思っているなら、それは非常に狭い考え方だと述べている。むしろ大事なのは「遊び心」のほうだった。
そういえば、安月給だと思えるはずの人でも毎月のようにゴルフを楽しんでいる人もいる。やはりその気になればどこからか捻出できるのだろう。
劇場で芝居を見るには入場料もかかるが、世の中を観察するならタダですむ。毎日興味深い出来事がどんどん生まれているのは確かだ。
もし絵画や美術に関心があれば、画廊巡りもお金のかからないレジャーともなりえる。10年も継続すれば、それなりの絵画通にもなれる。
またパソコンがあれば、それだけでもいろいろと創造的な時間は作り出せる。たとえば、ブログやホームページでもかなり遊べるし…。
またお金をあまりかけないからこそ、その遊びは熱中でき継続できるとも思える。近所を散歩してみれば、まだまだ新しい発見も多そうだ。

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無駄金をどれだけ使えるかが、その人間の器を決めるともいえる。
「男の品格」川北義則著より。
よく女性は自分が仕事を頑張ったごほうびに、おいしい食事をしたり旅行や贅沢品を買うという。つまりそれは自分のための無駄使いともいえる。
男にはそんなことがあるだろうか。なんだか目的がないとあまり買い物をしたりしないことが多いかもしれない。まあ趣味があればそれに費やすだろうが。
私の同僚には、趣味もたくさん持っていて、そのため交友関係広い人がいる。話題も多いためか、そんな人のところには自然と人が寄ってくる。やはり人から見れば無駄金を使っているように見える。
一方、お金を持っていても余裕を感じさせない人もいることは確かだ。前者に対して器も小さく見える。「お金持ちというのは、どれだけお金を持っているかとは関係ないの。どれだけ使ったかで決まるのよ」とは、ココ・シャネルの言葉だった。まさにその通りだろう。

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過去の思い出話で今を語るのは衰えの証明・・・
「男の品格」川北義則著より。
実にきつい言葉にも思えた次第。ついつい歳を重ねるにつれて、昔は〜をしたものだったなどと話したくなるものだ。学生時代の話などの趣味を話してもしょうがない。
ここでのタイトルは“趣味は実践しなければ意味がない”、だった。今自分は何に熱中しているかを語れればいいのだろう。趣味があれば人生にうるおいを与えてくれそうだ。
筆者は、仕事も、家庭も大切だが、趣味もそれと同じくらい大切にすべきだとも述べていた。やりたい趣味もそのうち、と思っていたらなかなか始められないだろう。
男の人生は趣味でまったく別ものに変えることができるともいう。たとえば、エンドウマメで遺伝の法則を発見し「メンデルの法則」ともいわれるグレゴール・メンデルの本職は聖職者だった。
ここまで行けばすごいものだ。とはいっても、その業績は生前には認められなかったらしい。しかし、それだけ充実感をもって時間を過ごしたに違いない。

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好きで熱心に継続的に取り組めるものはすべて趣味といってもいい。
「男の品格」川北義則著より。
ここでのタイトルは“趣味は論じるより味わうものだ”となっていたが、人の趣味について話しても面白くもなんともない。やはり自分が味わうべきものだった。
そういえば、まだ社会人になったころ、コピーライティングの通信教育を受けていたことがあった。その課題に「趣味について書いてください」というのがあった。
その時私は「履歴書の趣味の欄に即座に書けるような趣味を持っているだろうか・・・・」というようなことを書いた覚えがある。今でもきっとそう書き始めるかもしれない。
いろいろ頭で考えてようやくこれが趣味かもしれない、というようなものは本当に趣味といえるかどうかも怪しいと思ったからだ。今でも同じような考えを持っていた。成長していないのかなぁ〜
ここにユニークなこと例として挙げられていた。かつて田中角栄の秘書を務めた早坂茂三さんの趣味は「田中角栄」だったようだ。つまり人に仕えるのが趣味だったのだ。
サラリーマンの中には仕事が趣味だと言う人もいるかもしれない。高度成長期には、そんな人が多かったのだろう。しかし、見返りを求めたり利害がからめば趣味ではなくなってしまうのだろうな。

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趣味をライフスタイルにした生き方は誰にでもできる。
「男の品格」川北義則著より。