あなたは最近、時間を忘れて何かに没頭したことはあっただろうか。

「大人げない大人になれ」成毛真著より。
もしこんな質問をいきなりされて、即座に答えられるならいい時間を過ごしているとも言えそうだ。筆者は趣味に対して投資を惜しまないという。
それはそれらに没頭している時間が人生で最も重要だと考えていたからだった。好きなことに夢中になれるほど幸せなことはないだろう。
ここでの小タイトルは、“子供の頃の趣味を維持しよう”となっていた。歳をとるに従って、子供の頃に夢中になったことを忘れてしまう。しかし、それを思い出すきっかけは意外に書棚にあったりもする。
そこには自分の関心がつまっているものだ。趣味でもある程度上達するには時間がかかる。数年は必要なものだ。今まで関心があったことも振り返れば数年が経過していた。
さて、タイトルにあげたフレーズですぐに思いつくのは、デジカメで身近な写真を撮って、フェイスブックに毎日アップすることだと言えそうだ。まだ当分飽きてはこない。

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どんな仕事でも、自分なりの工夫を加えれば楽しい遊びにすることはできるはずだ。
「大人げない大人になれ」成毛真著より。
これはまったくの同感だった。あまりにも厳しい仕事ではそうはいかないかもしれないが、ある程度普通の仕事なら自分で面白くしたほうが勝ちだろう。
単純な仕事ほど、自分なりに工夫を加えて面白くする必要があるだろう。スピードを上げてみたり、人とは違った方法でやってみるなどだ。
ここでの小タイトルは、“楽しむための仕掛けをつくる”、だった。その通りだと思える。私も営業の仕事をしている時は、仕事の中にいかに自分の趣味を生かせるかを考えていたものだった。そうすることで、仕事もぐっと面白くなったのだ。
自分が自ら進んでつくったルールやノルマなら決して辛くは感じられないものだ。むしろそれをクリアした時は、爽快な気分になれる。

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人と違う経験をし、人と違う考え方をする。
「大人げない大人になれ」成毛真著より。
(前日のつづき)
営業をしているとき、お客さんにどうしたら楽しんでもらえるかばかりを考えていた。また商品については、効果的なアピールの仕方はないかなどは常に考えていたものだった。
またふだんからのコミュニケーションの善し悪しが、当然ながら結果に影響するから、そのためのツールを優先的に手作りしていた。
実はそれが一番楽しい時でもあった。ある意味どうしたらサプライズがあるかと考えていたのだ。それを突きつめていくと、人と違った営業の仕方になったものだ。
少なくとも、周囲の人が絶対にやらないようなコミュニケーションの方法を考えてやるのは、やりがいでもあった。だから、むしろ同僚のごく当たり前の営業努力がつまらなく、物足りなくも感じていた。

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最も大人げない自分でいられるのは、好きなことに夢中になっている時間だ。
「大人げない大人になれ」成毛真著より。
この本の最終章のタイトルは「大人げなさを取り戻すための本棚」となっていた。そこで筆者がとりあげている一冊に『プラネタリウムを作りました』というのがあった。
実際にこの著者の大平さんという人は独力で史上最高の再現力を持つプラネタリウムをつくりだしていたのだ。好きなことに取り組むのには、特別な理由や才能はいらないと成毛氏は述べていた。
大平さんは、アルバイトで資金を作って、誰も作ったことのないプラネタリウムを作り上げていたのだ。これは本当に大人げなさがなければ継続できることではなかったのだろう。
好きなことでも、とことんやってみることが人と違う結果をもたらすのだろう。また何よりも飽きずに継続することが大事だと感じてくる。成毛氏の言葉では、真剣になって遊び尽くすとあったが、それがポイントだろうな。

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「大人げなさ」は人生を楽しむ道具である。
「大人げない大人になれ」成毛真著より。
これは“おわりに”の部分にあったフレーズだが、まさにこの本のテーマはそこにあったのだ。人生は楽しんでこそで、そのために必要なことの一つが、大人げなさでもあったのだ。
それを「道具」という表現にしているのが、シンプルでいい。道具ならより自分にあった道具をいくつも揃えて置きたいものだ。そうすることで、人生の達人になれるだろう。
金はある方がいいが、それも多くは望めないなら、その範囲内で楽しむしかない。むしろ想像力を働かせて、少しでも豊かな時間を過ごしたいものだ。
筆者は、面白い人生とは、好奇心を満たす時間や、刺激的な体験の積み重ねにほかならないと述べていた。時どきこんな言葉も思い出してみたいものだ。

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