教えることは、2度学ぶことである。

「ギフト〜E名言の世界〜」2010.6月号より。
一瞬、学生時代の英語の授業を思い出してしまった。その時は、「教えることは学ぶこと」となっていて、単純に“Teaching is learning.”と訳したものだった。
しかし、ここでは「2度学ぶ」となっていて、“Teaching is learning twice over.”と表現していた。これはもともと、フランスの思想家ジョセフ・ジュベール(1754−1824)の述べたことだった。
そこで、講師のパルバースさんは、deux fois というフランス語を、単にtwiceだけでは意味が十分でないと判断して、overをつけて強調したのだ。
また、氏自身学生たちに教える以上のことを、学生たちから学んでいる気がすると述べていた。自信をもって教えられるならば、それだけ自分に身についていることを確認できたともいえそうだ。
一般の仕事でも指導することで、再び学ぶことも多い。また、その際に以前は気がつかなかった新たな発見や気づきがあったりもするものだ。
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何をするにも、時間は見つけるものではない。必要なら作るものだ。
「ギフト〜E名言の世界〜」2010.6月号より。
日本語の「時間を見つける」、「時間を作る」は英語にした場合そのまま、find timeやmake time でよかったのだ。英語でも日本語でもそのまま直訳でいいというのが、なんだかあっけなくて新鮮に思えた次第。
「時間があれば」、とか「時間に余裕ができたら」何かをやろう、と思っているうちはなかなかその時間はやって来ないものだ。つまりぼんやり思っているうちは、それが実現できないということになる。
たとえ手帳に予定を書いたところで忘れてしまったりもすることも多い。思い切りだろうか、思い立ったら吉日、というやつでスピード着手こそが、何かを成し遂げるポイントだろう。
よく口にしてしまう、「いずれ」「そのうち」「おいおい」「じゃあ、また」などは決してその日はやって来ないもの。もし、切実なことなら、忘れない工夫をするに違いない。まあそれも、かなり強い意志がないとなぁ〜

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時間は時計が止まっているときだけ生き返る。

「ギフト〜E名言の世界〜」2010.6月号より。
これはアメリカの作家ウィリアム・フォークナー(1897−1962)の次の名言からだった。
「時計は時間を殺す。小さな歯車が時を刻んでいる間は、時間は死んでいる。時計が止まったときだけ、時間は生き返るのだ」。
なんだか難しそうな表現だが、時計を見て時間を気にしているうちは、ものごとに集中できていないということだろうか。
楽しい時間は時計など気にする暇もなく、あっという間に過ぎてしまうものだ。しかし、苦しい時いやな時間は時間が気になり、なかなか早く過ぎてくれないものだ。
時間を忘れてしまうほど、集中して楽しめる時間を過ごしたいものだな。ただし、この季節、とくに睡眠不足には気をつけないと、夏バテするかも。