大人の遊びは、リスクを自分で背負っていくこと。

「遊び上手が成功する」中谷彰宏著より。
ここでは食べることが初めに書かれていた。それは体にいいかどうかということだった。そして、筆者は食べたあとのことを心配するような人は、おいしいものを食べる資格はない、とも語っていた。
食べる時は、これが体にいいとか悪いとかをいちいち考えていたらおいしいものも味わえないだろう。また体にいいからといって、まずいものを無理して食べ続けるのもなんだか味気ないものだ。
自然のものをそのまま食べようと思えば、ある程度の危険は伴うかもしれないが、本当のおいしさも堪能できるのだろう。危ないからと言って敬遠ばかりしていたら、本物の素材の味はわからないかもしれない。
実際に食べてまずければやめればいいだけのことだろう。新鮮な生ガキにしても、庭で収穫したばかりの果物や野菜にしても自然のままの味は格別だ。そして、まったく問題なく味わえたことが自信となってよりおいしく味わえるのだろう。
子どもの頃は川に入って平気で水遊びや泳いだりしていたが、今では危険だからと禁止されてしまっている。やはりそんなところででも遊ぶことで楽しい時間を過ごせたことが今ではいい思い出になっている。
リスクと言えば、ギャンブルが楽しいのはまさにすべて自己責任で楽しむからなのだろうな。“少しぐらい〜(損、ケガ、失敗など)〜したって大丈夫!”、というような心の余裕があって初めていろいろな遊びを楽しめるのだろう。

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後片づけなんて心配したら、遊べない。
「遊び上手が成功する」中谷彰宏著より。
これも、食べる時や遊びの時のリスクを考えすぎて十分味わえないことと似ている。ここでのタイトルは「遊ぶ時は、後片づけのことは考えない」となっていた。
そして、このあとには“でも終わったら、しっかり片づけること”、という言葉が隠れていると思われる。どんなに散らかして遊んだところで、その後にきっちりと整理整頓しておけば問題がないことだ。つまりは自己責任でやれば問題ないはずという意味だったのだ。
約20年ほど前のことだが、クリスマスシーズンになるとリース作りをしていたことを思い出した。自然の木の実やツルなどを大量に集めて、色付けをして作ったものだった。その際材料や細かいゴミも大量に出て思いきり部屋に広がっていた。
しかしその遊び(作業)が終了すれば、きっちりと掃除をすると実に気持ちがよかったものだ。その時の掃除も別に苦にならなかったものだ。それを含めての遊びだったのだろう。
遊んでいる時が楽しければ、その準備や後片づけも大したこととは感じられないほどだ。いつでもそうありたいものだが。中谷さんは「一流の遊び人は、一人コツコツと片づけている」と語っている。それができてホントの大人の遊び人と言えるのかな。