楽しんで料理しなければ、料理は絶対うまくならない。

「ギフト〜E名言の世界〜」2010.6月号より。
ここの章では村上信夫の名言が取り上げられていた。それは「料理は、材料や調理技術も大切だけれど、心を込めてつくらなきゃ、絶対においしい料理なんかできないです」だった。ここで、「心を込める」は英語にするとき、"put one's heart into・・・"となるらしい。
そこで、これは英語のテキストでもあったので「おふくろの味」を英語でいうとどうなるかが書かれていた。それは"(food) just like mother used to make"となるようだ。「母が作ってくれたような料理」となっていた。日本語のひと言も、英語にすればかなり長い説明文になっている。
さて、タイトルに挙げたフレーズは、別に料理だけではなくあらゆることにもあてはまることだろう。仕事もスポーツも勉強もただ苦しみだけでは、長続きはしないし、上達もないだろう。
講師のパルバースさんは、村上信夫(1921-2005、フランス料理シェフ)の成功要因は、料理への愛情で、彼にはその愛情に見合った腕(技術)と目(センス)の持ち主だったと判断していた。

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剣で死ぬ人より、食べすぎや飲みすぎで死ぬ人のほうが多い。
「ギフト〜E名言の世界〜」2010.6月号より。
これはウィリアム・オスラー(1849-1919,カナダ生まれの医学者)の言葉だった。いまではよくメタボは健康によくないと言われているが、もう100年も前にも食べすぎや飲みすぎの人もいたようだ。
また今までは「ペンは剣よりも強し」“The pen is mightier than the sword.”という古くからの名言を覚えていた。それをもじった、フライパンは剣よりも強しというのができそうだと講師のパルバースさんは述べていた。それは、pen を pan に変えただけのものだった。ちょっと笑える。
最近どうしても食べすぎてしまうことが多い。よく言われるのは腹八分目だが、それだとどうしても物足りない。ついつい満腹まで食べてしまう。気をつけねばな。
毎年健康診断の前後は気をつけるものの、それ以外のときはなかなか忘れてしまう。あまり気にしても、それが逆にストレスになってしまうらしいが。何事もほどほど・・・かな。(難しいが)

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不思議なことに、すばらしいごちそうは、人々をなぜか和解させてしまうものだ。
「ギフト〜E名言の世界〜」2010.6月号より。
これはイギリスの官僚サミュエル・ピープスが日記に残した言葉だったらしい。とはいっても、彼が生きた時代は1633年から1703年なので、かなり昔のことだった。彼の仕事を通じて得られた教訓なのかもしれない。
講師のパルバースさんは、一つの単語を取り上げていた。それはcompanion(仲間)だった。この言葉の語源をたどれば、ラテン語でwith にあたるcom-とbread(パン)を意味するpanisからできているという。
つまり、一緒にパンを食べる=食事を共にするという意味合いになるらしい。それによって、結果的に仲間になるのだということだろう。一緒に食べることで心を開いて親しくもなれる。
たとえけんかした後も、食事を一緒にできるほどであれば、仲直りも早いかも。しかし、もともと気が合わなければ、食事もうまくはないだろうが。

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人への親切、世話は慰みとしていたい。義務としてはしたくない。
「ギフト〜E名言の世界〜」2010.6月号より。
この言葉は『私の日常道徳』(菊池寛著)という本からのものだった。ここでの「慰み」にはいろいろな意味合いが含まれていた。fun(お楽しみ)、pleasure(喜び)、diversion(気晴らし)、amusement(娯楽)などだった。
他者を助けることを楽しむべきだということらしい。やはり何でも義務感からやっていたのでは面白さもやりがいも感じられない。自発的に進んでやってこそ気持がいいものだということは実感としてわかる。
身近なところでは、電車の中でお年寄りに席を譲るなどだ。まあ、それほど高齢でない人に席を譲れば逆に失礼になるかもしれないが、一見して立っているのがつらそうな人なら喜んでもらえるはずだ。
この本のタイトルもしっかりしている。小中学生の頃には、道徳という授業があったものだが、日常ではついつい忘れがちなこともある。確かにそれを楽しみなことだと視点を変えてみるのもいいのかもしれない。

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献身の可能性は誰もが持っているもの。
「ギフト〜E名言の世界〜」2010.6月号より。
いきなり献身といっても、その場に立ってみないと実感はわかないかもしれない。ここでのテーマが「献身」だった。取り上げていたのは誰もが知っているヘレン・ケラーで、彼女の残した次の言葉が印象に残る。
「他人の苦痛を和らげることができるならば、人生は無駄ではないのです」と語っていた。彼女自身身体的に苦労をしながらも、なお他の人の役にたとうと一生涯努力を続けていたのだ。
また、献身といって講師のパルバースさんがすぐに思い浮かべる人物はネルソン・マンデラ(元南アフリカ大統領)だった。民主的な選挙によって選ばれた初の大統領だった。そして、民主主義の確立のため27年間を獄中で過ごしてきたのだ。これだけで歴史上の最も偉大な指導者だと感じられる。
話はそれてしまうが、今年の2月にマンデラ氏とラグビーワールドカップの勝者を題材にした映画「インビクタス」“負けざる者たち”を観たことを思い出した。
南アフリカは、初出場で初優勝を果たしていた。実に感動的な映画であったことを思い出した次第。今開催中のサッカーワールドカップ・・・治安の悪い地域だけに、無事に平和に終わってほしいことを祈っている次第。

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自分が退屈なとき、きっと私自身もほかの人にとって退屈な人間になっているんでしょうね。
「ギフト〜E名言の世界〜」2010.6月号より。
これはこの番組(NHK)の講師パルバースさんの言葉だった。この元となっていたのは、中国の学者劉安の次の名言だった。「学ぶに暇(いとま)あらずと謂う者は、暇ありといえどもまた学ぶ能(あた)はざらん」。
かなり難しい表現だが、言ってみれば、勉強する時間がないという者は、たとえ時間ができても勉強はしないだろう、という意味合いだ。もっと言えば、学ぶ時間がないなら、自分で作ろうとなる。
英語で「・・・のために時間を作る」はその通り、make time for・・・、でいいようだ。パルバースさんはこれまで、これを実践してきたという。ややずれるが、かつて大学での教え子がもう62歳になっていたという。それだけ長い間自身も学び教育に携わったということだろう。
氏が本当に退屈だと感じるのは、読むこと、聞くこと、そして学ぶことができなくなったときだという。そう言えば、テレビの前にいれば次々といろいろな情報が流れてきてある程度の退屈しのぎにはなるが、学ぶにはさらに前向きな気持ちが必要だろうな。
人にとっても退屈でない自分をつくるよう意識することで、自分自身も退屈させることはないとも言えそうだ。つまり常に目的意識をもって知識などを吸収しようとすることかもしれない。またそれを伝えることもまた容易ではないだろうが。

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学び続ける者は若さを保つことができる。
「ギフト〜E名言の世界〜」2010.6月号より。
この言葉の前にも、次の名言があった。「20歳だろうと80歳だろうと、学ぶことをやめた者は老人である」その前に何を学ぶか、その学ぶ対象を見つけることも大事だろうが。
たまに、70代や80代で高校や大学で学んでいる“学生さん”がいる。本当に尊敬に値する。まずはその年齢まである程度の健康を保てなければ、学ぼうという意志もわかないだろう。
またこの章のテーマ「教育」では吉田松陰が題材にされていた。彼はもう10歳で教鞭をとっていたという。しかも29年間という短い生涯で、彼の門下生はすごい人物がいた。明治維新の中心となる人物、高杉晋作伊藤博文山県有朋、木戸孝義などだ。
松陰の残した名言は「世の中には賢い人も愚かな人もいるが、それぞれ1つ2つは才能を持っている。それらを統合し事に当たれば、必ず成し遂げられる」だった。彼の教え子たちはそれを実践したのだろう。
こうみれば、幕末の思想家、教育者としての吉田松陰はものすごい人物だったと改めて感じた次第。今の時代これほど若くて将来有能な人物に育て上げられる人はいないだろうな。