遊びは、デザートみたいなもの。

「遊び上手が成功する」中谷彰宏著より。
中谷さんは、おなかがすいたから食べるのでは、遊びではなくて、ただの事務のようなものだという。つまり必然的にしなくてはならないことをやっているという意味だった。むしろ食事もそれ自体をもっと楽しむべきだということなのだろう。
だから、おなかがいっぱいの時に、「次、何食べる?」と相談できるのが大人の遊び人らしい。かなり気持ちにも余裕がなければそこまではいきそうもない。女性は、おなかがいっぱいでもデザートならまだ食べたりする。別腹というやつだろうか。
私などたとえ目が欲しくても、もう入らないだろうし、美味しく食べられない。遊びはデザートみたいだというのは、なくてもやっていけるからだ。むしろ、デザートは遊びだ、とも言えそうだと感じた次第。
ここまで書いてきたら、若い20代の終わり頃、大先輩の部長に飲みに連れて行ってもらったことを思い出した。さんざん飲み食いをさせていただいたあとで、うまいうなぎ屋があるから行こう、とタクシーに乗って行ったことがあった。
実に遊びなれた部長さんだった。しかもこの時の太っ腹はカッコイイものだとも思えたな。大人の遊びってこういうものかもしれないと感じた次第。やはり気持ちもふところも余裕がないと・・・
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サービスというのは、喜ばせる側と喜ばされる側が、一緒に楽しむこと。
「遊び上手が成功する」中谷彰宏著より。
もし、接客業としてお客様にサービスするなら、お客さんが快適さを感じることは当然だろうが、自分もそれにやりがいを感じるかどうかだろう。もし即座に「かしこまりました、お安いご用です!」といってサービスできればどちらも気持ちがいいことだろう。
サービスを提供する側は、かわいいわがままを言うお客様に対して、そのわがままに応えていく楽しみがあるようだ。ここで、筆者が“かわいいわがまま”、という表現を使っているが、それはひどいクレームというほどのことではなく要望程度のものなのだろう。
お客様の期待、希望通りにサービスができ喜んでもらえれば、サービスした本人もやりがいを感じて仕事を楽しむことができるはず。サービス業に就く人はそんな喜びが次の仕事へのモチベーションになるに違いない。
自分がお客としてサービスされる時も、サービスしている人が楽しんでいれば、それが伝わって、実に気持ちがいいものだ。その基本の一つは自然な笑顔かもしれない。
ただのマニュアル通りに作業しているサービスマンからは楽しさ、嬉しさは伝わってこない。ところが、たまにこの人サービスを楽しんでいるなぁ、と感じるときはこちらも嬉しくなるものだ。


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雨を楽しめないようでは、大人ではない。
「遊び上手が成功する」中谷彰宏著より。
ここでのタイトルは、「大人の遊びは、雨天決行。雨を楽しめないようでは、大人ではない」となっていた。そろそろ梅雨に入ろうとしている。蒸し暑い日々が続いている。どんよりとした曇り空ばかりで、快晴の日は貴重だ。
たとえば、気合いを入れて遊びや仕事をしようと思っていても、雨が続けば気持ちもなえてしまいやすい。雨が降ったら、こうしてみようというバリエーションを自分なりに工夫できれば雨の日ももっと違った気持ちで取り組めるのかもしれない。
もし、お気に入りや使いやすいショルダーバッグ、素敵な傘やレインコート、自慢できる雨靴などのレイングッズを持っていれば、雨の日が待ち遠しくなるのではないだろうか。少しぐらいの雨なら、少なくとも、何の準備もないときより少しは積極的に雨の日の外出もできそうだ。
もし土砂降りで外出不可能なら、この時とばかり、ふだん読めなかった本を読んだりや写真集を眺めてみる機会ができたと喜べるかどうか。また、自分なりの娯楽を考えておけば有意義に過ごせそうだ。晴耕雨読もこの季節ならでは、かも。
要は、自分なりに工夫をして雨のシーズンに備えたいものだ。じっとしていることほどもったいないことはない。雨の日もそれなりに楽しめるような大人になりたいものだなぁ〜。