楽しむためにはマナーが必要・・・

「遊び上手が成功する」中谷彰宏著より。
ふだんあまりマナーを意識したことがないものだが、身近なところでは公共の乗り物(電車やバス)に乗る際には、それを守らない人をみると改めてマナーの大切さを実感するものだ。
マナーに似たものにルールがある。スポーツにはルールがあり、それを破ればペナルティが課せられる。車なら即罰金ともなって、気持ちもふところも痛むもの。またルールがあるからこそ安心していられるし、楽しむこともできる。
ゴルフはそのルールが明文化されていない。遊びとして楽しむにせよ。スポーツとして考えるにせよ、お互いにマナーを考えなければ十分楽しめないだろう。マナーには特別罰則はないが、だからこそ意識することが必要なのかもしれない。
ここでのタイトルは「礼儀正しい遊び人になろう」だったが、その礼儀正しさと遊び人は共存するという。大人の遊び人になるためには、勉強してマナーやルールを覚えなければならないようだ。
ところが、そんな遊びのマナーにつていは日本の学校ではほとんど教えてくれないものだ。結局自分たちが遊びを通じて身につけていくしかなさそうだ。仕事から離れた遊びの場で学んでいくことも多そうだな・・・

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「・・・でいいや」というひと言が人生をつまらなくする。
「遊び上手が成功する」中谷彰宏著より。
これもほとんど無意識のうちに使ってしまう言葉だ。仲間同士でランチなどに出かけた時に、メニューをちょっと見ただけで、「日替わり(ランチ)でいいや」とか「A定食でいいや」などと言ってしまうもの。
「・・・でいいや」は、そのモノに対してかなり妥協したようなニュアンスがある。暗に、“できればもっといいモノがあればいいのだが、今はコレで間に合わせておくか”、とも感じ取れる。メニューの種類が少ない場合はそこから選ぶしかないかもしれない。しかも選ぶのが面倒な場合もそう言ってしまいがちだ。
まあ、私などはそれだけちゃんとしたレストランに行ってない証拠かもしれないが。できれば、メニューをいろいろと眺めてその時間を楽しめれば最高だろう。「・・・でいいや」にはあまりモノにこだわらないという感じもする。だからこそ、中谷氏はそんなひと言で人生がつまらなくなってしまうというのだろう。
「・・・でいいや」という言葉を耳にすることもあるが、あまり気分がいいものではないな。確かにこだわりがあれば、それなりにモノを知っていることでもあるから、その時間を楽しめるのかもしれない。ちゃんとしたレストランへ行って、「今日のおすすめはなに?」なんて言ってみたいものだなぁ〜

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語れるものは趣味になる。
「遊び上手が成功する」中谷彰宏著より。
へえ〜、こんなものまで趣味になってしまうのか、というものを中谷さんは趣味にしているという。それはなんと腕立て伏せだった。これを遊びとしてしているらしい。
遊びといって、必ずしもお金のかかるものだけではないということのようだ。大人には、こんな単純な腕立て伏せのようなものまで遊びになっていた。
学生時代の運動部ならただのトレーニングのひとつに過ぎない。中谷さんは、以前映画で見た片手腕立て伏せがカッコよかったから始めたらしい。ものごとを始める動機は意外に単純なことが多いものだ。
彼によれば、腕立て伏せは回数ではなく、反動をつけずに深く曲げることが大事なことだと指摘してる。つまりその方が効き目があるという意味だった。
腕立て伏せは複数の筋肉を使うという。また片手腕立て伏せをやると腹筋がかなり鍛えられるらしい。普通の腕立て伏せは足は閉じているが、片手の時は足を開いてやるそうだ。
どこに力をいれどう支えるか、などいろいろあるようだ。また手を置く位置を変えてみるなど・・・。このように道具などなにもなくても、腕立て伏せだけでかなり鍛えられると経験から語っている。
結局ジムに通ったあげくに、中谷氏はここにたどり着いたという。腕立てといっても、かなり奥が深いものだな。しかも腕立て伏せは、全身に効いてくる運動のようだ。今では、逆立ち腕立て伏せをしているという。
う〜む、確かにこれだけ語れるならば趣味ともいえるか。中谷さんは腕立て伏せについて、4ページ半も書いていた。さて、自分は何が趣味として語れるかなぁ〜〜

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大人の遊びでは、強いことより楽しめることが尊ばれる。

「遊び上手が成功する」中谷彰宏著より。
人間性はゲームなどで遊んでいる時に一番出てくるようだ。むしろ仕事では出てこないことが多いらしい。ゲームには勝ち負けはあるが、それだけでは面白くもない。むしろどれだけ楽しい時間を過ごせたかのほうが大事なのだった。
ゲームをやらせてみて、どれだけ楽しめるかで、その人の人間力までわかるという。ゲームでなくても、相手を楽しませるためには、それなりの知識、経験、オリジナル性、意外性などもポイントだと思える。
単なる受け売りではなく、その人なりのオリジナル性のある意見は興味深いものだ。へえ〜、そんな考え方もあるものか、というような意外性は人を楽しませてくれる。
会社の会議室で面接をしても、素は出てこないものだ。むしろ遊びやスポーツをしている最中にそれは出てくるのかもしれない。その遊びの一つとしていろいろなゲームもあるのだろう。
また仕事でそれなりの実績を残したところで、他人から見ればそれほど関心はないもの。むしろ、楽しんで仕事をしていることや、人の役に立っていることのほうが結果的にも印象に残ったりする。

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大人の遊びとはお返し・・・
「遊び上手が成功する」中谷彰宏著より。
ここではチップを例に取り上げていた。日本ではそうしばしばチップという習慣もないだろう。子どもの頃、両親と一緒に旅行して旅館に泊まった際に、父は部屋を案内してくれた女中さんにさりげなくチップを渡していたものだった。
でも、今では料金のなかにサービス料というものが含まれているのでどうなんだろう。まあ、本当に気持ちがいいサービスを受けたなら、チップを払いたくなるかもしれないが。
私がまだ20代の頃、海外旅行先のホテルに泊まった時には、それが義務かと思って、朝ベッドの枕のところにいくらかのチップを置いたりもしていた。本当は必要かどうかもわからなかったが、旅行のガイドブックにそれがエチケットと載っていたからだ。
しかし、チップなどは慣れなければかなりぎこちないものだ。チップは別にお金だけでなくてもいいと中谷氏はいう。店でサービスをしてもらったら、次に行く時に知人を連れていくというのもありらしい。その店にお客さんが増えるのはいいことだからだ。
まずは、お礼をしたい!と思うほどウレシイことはどれほどあるだろうか。本当に感動するほどなら、お礼をして当然だろう。まあ、感受性の問題もあるだろうが。チップを渡すほどの余裕・・・今はないかなぁ〜〜〜