マックのメニュー開発に一流シェフがかかわっている・・・

ホームページ「クーリエジャポン」2009.3.10付より。

この一流シェフとは、まだ少年のような面影を残すといわれるのはダン・クードロー氏(43歳)だった。1995年に米国調理学院(CIA)を首席で卒業し、03年には業界誌「全米レストラン・ニュース」の「トップシェフ50人」の一人に選ばれるほどの人物だった。
彼はマクドナルドの料理イノベーション担当ディレクターとして、4年間に6000種類の料理を試作し、そのなかから右の2製品を含む10製品を実際に商品化させてきたという。わずか10製品のために膨大な数を試作していたとはちょっと驚きだった。確かにいろいろなメニューは開発されてはいるが、今まではもっと簡単に作られているものだとばか思っていたな。
またマクドナルドは世界的な外食産業だから、その材料(農産物)の使用量にしても半端ではないだろう。例えば、彼がサラダにアップルスライスを加えただけで、マクドナルドは05年に世界最大のリンゴの買い手になったという。それは2万5000t以上のリンゴを仕入れたためだった。
同時にスケールが大きければそれだけ創造性も制限されてしまう。たとえばサラダにエビやイチゴを加えるのはNGdらしい。また、このメニューが飽きられれば異なる材料が大量に消費されることになる。これほどの食材を扱う会社なら、世界の農産物価格にも影響を与えるのではないだろうか。一定の味を大量に提供できるかどうかがまず最初にくるのだろう。
とくに不況になれば少しでも安くて美味しいものを求める人たちは増えることだろうし。常に繁盛の後ろ側では一流の人による絶え間ない開発競争が行われているのだなぁ・・・

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「地球上で最も影響力のあるシェフ」

ホームページ「クーリエジャポン」2009.3.10付より。
(前日のつづき)
クードローの革新的なアイデアによって、マクドナルドの落ちていた業績は回復していったという。04年に彼が入社したとき、同社の経営基盤はがたがただったが入社後には、1日あたりの来客数は200万人増え、株価は3倍近くに跳ね上がっている。 彼のサラダは年間3億5000万個以上売れているという。
しかし、彼の才能でも顧客の嗜好に影響を与えられないこともあった。たとえば彼のサンドウィッチ「ホット&スパイシー・マックチキン」は広告攻勢をかけて全国展開したものの、メニューから消えた。
ほかにもお蔵入りとなったアイディアはわんさとあるようだ。それでもなおかつ新製品を世の中に提供していかなければ、わがままな消費者はすぐに飽きてしまう。

クードローは04年にマクドナルドに入社する際、テレビ番組『料理の鉄人』のような審査を受けていた。独創性という点では、ほかのシェフのほうが勝っていたらしいが、ダンのメニューは、ヘルシーで素材の持ち味を活かしたシンプルな調理だっという点が評価されたようだ。
要するに、いくら独創的でもファーストフード店に適さなければ高評価はされないのだろう。ファストフード業界でもトップシェフとして有名人になれるのだということを彼は証明したのだろう。
一般的には多くの料理人は一流レストランでのシェフを目指すだろうが、また彼のような世界に通じるこういう道を目指している料理人もいるのだなぁ。

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数学の日」という記念日。
朝日新聞、土曜版2009.3.14付けより。
“97歳私の証、あるがまま行く”という日野原重明氏の連載コラムを読んでいたら、教えられたこと。3月14日といえば一般的にはヴァレンタインのお返しであるホワイトデーをすぐに思い浮かべるもの。実際私も昨日までに義理でいただいたすべての方にお返しは済ませておいた。こういうお返しは早めの方が賢明だろう。あとになると忘れる可能性がでてくるし。
余計な前置きが長くなってしまった。さて、このコラムを読んでいて「数学の日」というのがあることを初めて知った次第。つまり、この日になったのは「円周率の3.14…」からきているようだった。日本数学検定協会が2000年3月に制定していた。しかも物理学者のアルベルト・アインシュタイン(1879−1955)が生まれたのも3月14日だったからより都合がよかったのだろう。
経済開発協力機構が15歳を対象に行った学習到達度調査によれば、日本人の数学応用能力は、00年に1位だったのが、03年には6位、06年には10位と順位を落としていた。06年の1位から台湾、フィンランド、香港、韓国という順だった。
ここには数学教育ではインドも力を入れているとあった。私たちは小学生のころ九九を覚えるが、インドでは15×15などの二桁の暗算を誰もが覚えるらしい。それだけ教育には国家レベルで力を入れているということだろう。確かに近年ではIT関連では優秀な技術者が多く輩出しているようだ。
15歳と言えば中学3年だが、私が数学が一番好きだったのはやはりこの頃だった。今ではどうしてあれほど数学を楽しめる一時期があったのかわからない。ところがその前後は嫌いだったから、不思議なものだ。高校に入ると英語が一番好きな科目になっていたし。(私自身は子どもには数学はうまく教えられないので、それはもっぱら大学の数学科を出たワイフのの役目だったな。)数学もやはりセンスなんだろうなぁ〜〜


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V9支えた左腕・・・

数日前の新聞見出しより。
まずはじめにこの、見出ししだけでピンとくる人はきっと40代後半以上の人たちだろう。
巨人がV9に輝いた黄金時代の左腕エース、高橋一三氏が山梨学院大監督に就任することが決まったという記事だった。
たったひと言の「V9」は昔の野球ファンには懐かしいことだろう。テレビで野球をみているとたまにこの「V9」という言葉を耳にする。そのたびに懐かしい時代を思い出してしまう。私もまだ成人する前のことだった。テレビでプロ野球を見るとそこには強い時代のジャイアンツが映っていたものだった。
川上監督時代9年連続で日本一を達成していたことをV9と呼んでいる。セ・リーグではそれ以来同じチームが3連覇以上を成し遂げたことはない。それで、いかにその時代のジャイアンツが強かったかがわかる。
高橋一三をご存じな人は、もしかしたら「一三」を「かずみ」と読めないかもしれない。当時、ジャイアンツファンだった人は「V9戦士」または「「V9メンバー」の名前ををすぐに思い出すことができることだろう。
レギュラー野手としては、柴田勲(中)、土井正三(二)、王貞治(一)、長嶋茂雄(三)、末次利光(右)、高田繁(左)、黒江透修(遊)、森昌彦(捕)などで、投手では 堀内恒夫高橋一三金田正一、城之内邦雄 などが挙げられている。
なお、山梨学院大は関甲新学生連盟の1部リーグ所属で、「高橋さんは1965年、広島・北川工高(現・広島県立府中東高)から巨人入りし、日本シリーズ9連覇に貢献。沢村賞を2度獲得するなど活躍して日本ハムに移籍。83年に現役引退後は、巨人の投手コーチや二軍監督などを歴任した。」ともあった。
たったワンワード「V9」に遠い昔の現役時代のONの活躍まで想像してしまったな。(今の若者ならアイドルグループ歌手の「V6」のほうが馴染み深いかもしれないが。オジサンにはそのメンバーが誰だかまったくわからない)

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同じ仲間と、一年中机を共にして学ぶあの濃密な空間・・・
「暮らしの風」2009.3月号より。
3月は卒業のシーズンでもある。そんなことからから、茂木健一郎さんは高校時代の担任だった杉山先生(数学担当)のことを思いだしながらコラムを書いていた。そのタイトルは「ありがとうも言わずに」だった。
この先生によって数学の奥深い世界に引き込まれ、面白さを教えられたという。それは受験のための技術を超えた数学の精神にも触れていたとも述懐している。たしかにそこまで話をしてくれれば印象は残っているかもしれない。
私の場合は、高校三年のクラス担任は英語の佐々木先生で、黒板にはいつも教科書にそったイラストをささっと描いて示してくれたことを思いだす。英語の授業も自信をもっ教え方でわかりやすく、同時にその描くイラストにも感心させられたものだった。
茂木氏は大学のキャンパス生活に慣れたころに、高校時代のあの濃密な時間はもう二度と経験できないことを悟ったという。高校時代に教えていただいた担任のの先生には当時、感謝の言葉さえ言えなかったが、この誌面の最後に、「杉山先生本当にありがとうございました」、と述べている。
なかなかその時には、どれだけのことを教えていただいているかその人の苦労などは実感としてわからないもの。親への感謝もだいぶ後になってからその感謝の念が湧いてくるし・・・。言える時に言っておかねば「本当にありがとうございました」と。