大手コンビニでさえも、米パンをメニューに加えはじめている。

「メトロミニッツ」2008.9月号より。
藤原新也氏(写真家、作家)がエッセイの中で、“米パンは本当に歴史的革命だと言いたい”と書いていたのが印象的だった。日本人がパンを日常的に食べはじめたのは戦後のことだった。それはアメリカが日本をパン食国家にするための政策があったからだった。
そして、当時小学校の給食の主食を全部米からパンに切り替えていた。また「コメを食うと頭がぼける」とか「記憶力が落ちる」というようなウソも流行らせていた。
ところがその後、アメリカは米を作るようになっている。アメリカ人はあまり米を食べないが、米を食べるヨーロッパの国々に輸出する目的だった。その際「子供の健康にコメを」「コメは完全栄養食」とまで、昔日本に言ったことと反対に近いことをうたっているようだ。実に調子がいい。
現在、小麦粉が高騰してパンの価格もじりじりと値上がりしている。ならば、米粉でパンを作ってみようということになっている。米作が行われている日本には好都合かもしれない。
そういえば、今朝口にしたパンには“お米入りロールパン”と表示されていた。しかも、「新潟産こしひかり使用」とまで赤で印刷されている。たしかにもっちりとした触感。悪くないと思えるが、今後どれだけ増えるかな・・・


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自分の弱みを上手に表現できる人・・・
フロイトで自己管理」齋藤孝著より。
そんな人は「人の心に訴えるものが強い」と述べていた。つまり、自分の成功した自慢話よりも、弱い部分をどう乗り越えたかの話の方が共感を得やすいということだった。
コンプレックスを持たない生き方よりも、むしろそれを時間をかけて飼いならしていくほうが、人間的魅力は出てくるようだ。
例えば、プロ野球で活躍するダルビッシュ有投手にとっては、意外なことに思えるがルックスがコンプレックスだったという。他者から見れば抜群なイケメンに見えるが、本人にとっては他の日本人と異なって見えるのが嫌だったらしい。
しかし、野球を続け一流になることで日本人としてのアイデンティティ(簡単にいえば「自分が自分である証」)を見出しているようだ。
コンプレックスをエネルギーに変換できたら素晴らしいことだ。結局、コンプレックスとどれだけ調和できたかが、人間の成熟度ともなっている。

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水泳を「吐き出す」行為としてとらえる・・・
フロイトで自己管理」齋藤孝著より。
これは実に面白い考え方だと思った次第。水泳ほど「息を吐き出す」さまがはっきろわかる運動はない、とここに書かれていたので改めてその通りだと感じた。とにかく水の中では息を吐き出せば体で実感できる。
その息と一緒に自分になかにたまっているものを一緒に吐き出すような気持を持つのがいいようだ。その時はフォーム、スピード、泳いだ距離などはまったく気にしないこと。ひたすら吐き出すことで心地よさを感じられるのがポイントだった。
次にクロールで水をとらえて「引き寄せる」という行為の力感が体に残るが、それを意識するのもいいようだ。自分の力で引き寄せることが実感できる瞬間だからだろう。筆者はそれで「よし、やるか」と力が湧きやすいという。
さらに、水の中では脱力ができる。とくに背泳ぎをした場合には力を入れずに「たゆたう」浮遊感をわかる。普段はなかなか感じられない感覚だ。これはリラックスする場合に有効に思えてくるな。
時にはこのように運動(ここでは水泳だが)別の意識をもってみると心身にもよさそうな気にもなってくる・・・な。