村上(春樹)は、芥川賞を受賞しなかったことを、幾分誇らしく感じて

「ENGLISH JOURNAL」2007.6月号より。
これは、近現代日本文学の名訳者といわれるジェイ・ルービン氏の言葉だった。ルービン氏は昨年までハーバード大学日本文学教授を務めていた。漱石や龍之介の作品も英訳している。
上記のセンテンスは一体どういう意味だろうと、ちょっと気になった。芥川賞を受賞する作品は無名もしくは新進作家のものが対象になっている。つまりその時点で批評家に受け入れられやすい日本文学ということになっている。
しかし、村上の作品はそれとは異なっていたという証明でもあるのだと考えている。これはちょっと面白い気づきだ。村上自身も、常に主流から離れたところにいようとしているらしい。彼は主流文学とはどこか違うものを書いたからこそ成功したと、ルービン氏は語っている。
そもそも、村上が新人作家だったころ、ほとんどの批評家は、彼の独特の文体を嫌って、あまり優れていないと考えていたのだ。しかし、結果的には彼ら(批評家)は間違ったと指摘している。
それは、その後村上は国内だけでなく海外でも高く評価され、現代日本を代表する作家となっているからだった。私もたしか20代には何冊か読んでいたっけな。

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村上(春樹)は、あなたの誤訳や解釈ミスなどを指摘しましたか?

「ENGLISH JOURNAL」2007.6月号より。
ルービン氏が、『ノルウェーの森』を翻訳した時、とてもおかしなミスを犯していた。それは、「できればかわってあげたかった」という文を「できればわかってあげたかった」という文であるかのように訳してしまったのだ。
つまり「か」と「わ」を頭の中で勝手に入れ替えて、勘違いをしてしまったのだ。当然筆者の村上は気づいて間違いを指摘してくれたのだ。さらに自分が漢字を使わなかったことを謝ってくれたという。
ルービン氏は、まるで村上自身の手ぬかりだったように謝ったという。そんなところからも、彼をいい人だと言っている。ここで重要な部分は、英語のセンテンスでは、“As though it were his mistake.”という部分だった。
この“As though ・・・”を使うところにも今度はまたルービン氏の優しさも見えてくる・・・な。


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翻訳というのは、常に妥協なんです。

「ENGLISH JOURNAL」2007.6月号より。
では、一番いいのは何かといえば原書を読むことです、というわけだった。この部分は原文では、次のようになっていた。
“Translation is always a compromise.The best thing is the original."
ここでは、compromiseが妥協という意味さえ分かれば、頭にはすっと入ってくる。とは言っても、原書などそう誰でも読めるわけないか。
そして、インタビュアーが、翻訳は翻訳者の解釈ですね、と言っている。すると、ルービン氏も、そのとおり音楽みたいなものと答えていた。「翻訳者はピアニストみたいなもので、作曲はしないけれども、原曲の楽譜から音楽を解釈するわけですから」と述べている。この例は実にわかりやすい。
同じ原書も翻訳者によって言葉使いも表現も異なってくるのはそのためだった。もっとも身近なところでは、同じ歌でも異なる歌い手が唄えば別の雰囲気に聞こえたりもするか。この場合は妥協というより、それだけ楽しみ方も増えるということ・・・かも。