「辞書はキレイに使うものではないんだ。」

「ENGLISH JOURNAL」2006.4月号より。
「紙辞書&電子辞書」というコーナーで訳詞家、翻訳家の泉山真奈美さんが語っていたこと。これは「英語をマスターするためには」という前提がある。このことは彼女の恩師が学生時代使っていた、ボロボロの英和辞典を見ての教訓だったようだ。
それ以来、泉山さんは躊躇せずに辞書にどんどん書き込みをしているという。テレビで字幕や吹き替え付きの映画を見ていて「あ、この単語をこう訳すなんてうまい!」と思えば、辞書のそのページに表現と訳をメモしているという。
一つの単語の例があった。“unbelievable”は辞書では「信じられない。驚くべき」となっている。しかし、テレビの字幕では“You're unbelievable."が「あきれた人ね」となっていたという。たしかにこんな発見は面白い。
最近の若者は分厚い紙辞書を持ち歩いたりしないのだろうか。薄くて小型の電子辞書があれば、数十万語の単語を比較的すばやく調べることができる。また音声で正しい発音まで教えてくれるものもある。
でも、そこに思いつきをちょこっとメモするのは難しそうだな。自分の手作りの知識を蓄積できないのはちょっと惜しい気もする。
さて、ここでは辞書の話しだけにこだわる必要はない。なにかをマスターしようと思えば、地道な作業をおろそかにしてはいけないということだろう。学ぶとき、仕事を覚えてゆく過程で上達するためのヒントは意外に小さなことだったりするもの。
大きなポイントを摑むだけなら誰でもある程度同じレベルまでいけることだろう。しかし、目立たないことは自分の手作業で一つ一つ拾っていくしかない。この泉山さんは、新しい辞書を買ったときにはそれまでの書き込みをまた写し取っているという。そんなところに達人になるヒケツがありそうだ・・・な。(でも凡人には無理かな)