ビジネスの世界は、〈新〉がアッとい間に〈旧〉になる世界。

「マンガに教わる仕事学」梅崎修著より。
世の中とにかくスピードや効率といったものが求められているようだ。身近なものではパソコンやケータイといったデジタル機器は各メーカーが先を競って新機能をつけて新製品を市場に送りだしている。
IT化が進むにつれて、苦労して覚えたことも瞬く間に使いものにならなくなってしまうこともある。パソコンやケータイもよほどのマニアでなければ、詳しい取り扱い説明書を読んだりしないだろう。機能は無数にあってもほとんどは基本的な機能だけしか使わないかもしれない。
最近の若者はそんなデジタル機器も遊びから入ってしまうので、なんの抵抗もなく覚えられ使いこなしてしまう。しかし、中高年のオジサン、オバサンたちは慣れるために、まず勉強せねばという意識があるから面倒になる。中には、パソコンに触れるためにはまず、どこかの教室に通わねばと思っている年配者も多いようだ。
同じことをマスターするのにも、遊びから入るのと勉強から入るのとでは気持ちが正反対に近いかもしれない。遊びながら覚えてしまう子どもたちは上達も早い。
とりあえず、ある程度パソコンに慣れたところで、確かにスピードアップが図られたとする。技術革新で、世の中が便利になったはず。で、時間が余ったかといえばそんな気もしない。何もかもがあわただしく過ぎていくようだ。
このフレーズがある部分に取り上げられていたのは「寄席芸人伝」(古谷三敏著)だが、落語の世界が描かれている。そこでは師匠につき修業を積んで一人前になっていくという過程では、世の中の技術革新で仕事が奪われることはない、と述べていた。ほとんどの芸や職人の世界ではそうなのかもしれない。
伝統的なものには別の価値があるか・・・改めて、スピードが優先されるビジネスとはまったく別の仕事もあるものだと気づかされる。