「早起き」×「読書」×「伝える」を掛け合わせる。

「早起き」×「読書」×「伝える」を掛け合わせる。
「30分の朝読書で人生は変わる」松山真之助著より。
筆者はこの本でこの3つを提案している。朝早起きをして、出社30分前に読書をする。それを周りの人に伝えるということだった。
この3つを同時にやることで、どれもが楽しくなったという。その部分がスイートスポットということだった。
なんだか自分も似たようなことをしていたと気づく。自分は単に読書だけでなく、空いた時間に読んだフリーペーパー、新聞、雑誌、耳にしたラジをなどから気になったフレーズをメモして、それを毎日ブログにアップしていた。
それを途中からいくつか抜粋してA4の用紙にまとめて「かわら版」としてお得意様に配っていたのだ。それは毎月の手作り粗品の一つとなっていた。
そもそも私の場合はせっかく読んだものや耳にしたちょっと気になるフレーズを忘れてしまうのがもったいないと思ったのがきっかけだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
24時間を「自分時間」と「他人時間」に分ける。
「30分の朝読書で人生は変わる」松山真之助著より。
確かにこんな考えは忘れてしまっていた。学生時代は自由になる時間がたっぷりあったが、会社勤めをするとぐっと減ってしまう。それは給与を得るために仕方がないことだった。
会社という他人に支配される「他人時間」で月給をもらっていると考えたりもしたものだった。しかし、それだけではもったいない人生にも思えた次第だ。
自分で自由になる時間を増やすためには、それなりの仕掛けが必要だった。それが早起きだったのだ。そうすることで誰にも邪魔されずに過ごす時間が持てたのだ。朝の時間はどんどん過ぎてしまうから貴重なものだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
早起きは「誰かのために」で長続きする。
「30分の朝読書で人生は変わる」松山真之助著より。
自分だけのために早起きしようとしても、それは長続きしないものだ。ちょっと眠いから明日にしようと思えばできる。挫折するのは簡単だ。しかし、それが人のためにとなればそうはいかない。
たとえば、犬の散歩でもそうだろう。犬は毎朝決まった時間になれば必ず催促してくるだろう。また季節限定にはなるが、家庭菜園をしていれば、朝の水やりも早起きせねばならない。人ではなくても動植物のためという理由があればこそ早起きは続くものだ。
ここでは、「誰かのために」とは、自分も他人もハッピーになれるようなことを考えることだった。それで人が楽しめれば、いたずら心でもよかったのだ。どんなことをして楽しんでもらおうかと考えるだけでも早起きの価値がある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本を読むと、脳内で「化学反応」が起きる。
「30分の朝読書で人生は変わる」松山真之助著より。
読書は、自分との対話、著者との対話でもあった。つまり、読んでいるうちに自分なりの意見や感想が浮かんでくる。時にはツッコミだったりもする。それは思考の広がり、新たな発想にもつながるのだった。
もし、新しいアイデアが生まれれば得した気にもなる。小説なら読んで楽しければいいが、自己啓発本では、しばしば参考になるフレーズに出くわす。そんなちょっと気になるフレーズをメモしておかないと忘れてしまう。
それはもったいと思ってブログに残しておいたものだ。気がつけばもう10年以上も継続していた。今書いているフレーズもその一つだった。しかし、書いただけでも忘れてしまう。時どき読み返したいと思っている。