お金で買えるのは人生の半分である。

お金で買えるのは人生の半分である。
「みっともないお金の使い方」川北義則著より。
この本のタイトル自体がかなりインパクトがある。みっともないことは、嫌われることでもあるからだ。誰でもそうなりたくはないと思うものだ。みっともなくない、できればカッコイイお金の使い方をしたいと思う。
これは、はじめにの部分にあった「お金で幸せは変えるか」とい題して書かれていた。そこで、サマセット・モームの次の言葉を引用している。「十分なお金がなければ、人生の可能性の半分は締め出されてしまう」実にその通りだとも思える。筆者は、だからお金で買えるものは半分に過ぎないと述べていた。
お金は人生を幸せにする道具ではあるが、それがすべてではなかった。たんにお金は稼いだら使えばいいだけのことだった。お金を使わなくても楽しいことはできる。健康であればこそ人生は楽しめるのだろう。

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遊びのお金はきれいに使ってこそ楽しい。
「みっともないお金の使い方」川北義則著より。
気持ちよく遊べるとは、お金に関して気をつかわなくてすむということだった。遊びであっても分不相応なお金を使ってはいけないのだった。大事なのは自分の身の丈を知っておくことだった。
お金持ちはそれなりに使えばいいということだった。ここでは、漫画家の赤塚不二夫さんのエピソードが述べられていた。タモリさんの才能を活かすために、ぜいたくを知らなきゃダメだと考えていたのだ。
そのため、高級マンションを彼に与えて、自分の仕事場は木造二階建てのアパートに住んでいたという。収入が多ければこんなことさえできるのだと驚かされる。たんに金銭の補助をするだけでなく、人を育てていたのだ。その後のタモリさんの人気はまったく衰えることがない。

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一定のお金がフトコロにあるから、安心して行動できる。
「みっともないお金の使い方」川北義則著より。
たとえすぐに使わなくても財布に現金がある程度入っているだけで気持ちにゆとりが生まれるものだ。これを筆者は、自信をもって行動するための保険のようなものと表現している。
ここには、どれだけ持っていればいいのかといえば、年齢×1000円とあった。60代なら6万円ということになる。かなり多いが、それは現役で働いている場合だそうだ。リタイアしたら、その半分で十分だと思えるが。
ここには、ゲーテの言葉もあった。「財布が軽ければ心は重い」と。筆者くらいになれば、ふだん使いそうな金額プラス、いざという時のために10万円くらいは余分に入れるようにしているという。それは、それだけの地位にいるからだろう。

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並外れた極端な生き方というのは、人生の何かを学ばせてくれるもの。
「みっともないお金の使い方」川北義則著より。
ここでのタイトルは「ブランド品を買いあさる女性の心理」となっていた。それが趣味ならべつに人がどうこう言うことはない。人に迷惑をかけるわけでもないし。もしかしたらブランド評論家になるかもしれないと筆者はいう。
極端な趣味はある意味オタクといわれる人かもしれない。誰ももっていない知識をもっていれば、専門家にもなれる。たとえば、「昆虫記」で有名なファーブルは、ろくに学校にも行かずに虫を眺めてばかりいて、昆虫学者として大成している。
小説家だって、どうしてもこれだけは書いておきたいと思うものがあるからこそ、長年にわたって活躍できる。その人ならでは才能があるということは幸せなことでもありそうだ。