人に与える側の人間であろうと努めること。

人に与える側の人間であろうと努めること。
「孤独が一流の男をつくる」川北義則著より。
これは、「どのような人が孤立した人生を送るのか」というタイトルの部分にあったフレーズだった。つまり人から与えられることばかりに慣れ切ってしまうと、自分の行動もうまくいかないらしい。
むしろ、「ひとり社会」では、つねに「与える側」の人間であるよう心がけることが大事だったのだ。金も社会的な力もなくてもできることはあったのだ。
それらは、話し相手になってやる、励ましの言葉をかける、感謝の気持ちを表す、笑顔、親切でよかったのだ。自分からしてあげるという姿勢こそが大切だった。
これは意識の問題だろう。コミュニケーションの基本かもしれないと思った次第。

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熟年夫婦は「ひとり遊び」のクセをつけなさい。
「孤独が一流の男をつくる」川北義則著より。
気がついてみれば、もうすっかり熟年夫婦になっていた。そこで大事なことは、夫婦間でも「ひとり」の時間を持つことだった。確かにこれはそこそこできているような気もする。
いつもべったりでは息が詰まりそうだ。たとえ定年で家にいることが多くなっても、意識的にすれ違いの時間を持つようにしたいものだ。
夫婦が適当な距離を保つには、お互い「ひとり遊び」をすればいいとアドバイスしている。これもできていると思える。妻はヴァイオリンを習い発表の機会を楽しんでいる。時間さえあれば自宅でも一人で練習している。私はFBにアップするための写真を撮りに出かける時間が増えてきた。また最近は趣味と実益を兼ねて水耕栽培をやり始めている。
そして、たまに「ふたり遊び」で温泉や映画に出かけている。「夫婦がいつも一緒にいないことが長続きの秘訣」と白洲次郎は言っていたそうだ。正子夫人との生活もそのスタイルだった。