圧倒的努力が10重なった時、初めて結果が出るのだ。

圧倒的努力が10重なった時、初めて結果が出るのだ。
「たった一人の熱狂」見城徹著より。
圧倒的という言葉は、この筆者の口癖のようにあちこちに出てくる。それだけ自身が努力を重ねて結果を出してきたという自負があるからだろう。
ここでのタイトルには「結果がでない努力には意味はない」とあった。だから、努力することに意味があるというのは、単なる人生論に過ぎないらしい。「成功」という結果がでて初めて意味が出てくるというわけだった。
そこで、圧倒的努力とは何かについて述べていた。それは人が寝ている時に、寝ないで働く。人が休んでいる時に休まずに動く。膨大な仕事に手をつけてやり切る。人が不可能だと諦める仕事を選んでねじ伏せる。人が諦めてもじぶんだけは諦めないということだった。
その体験の一例があった。若いころ五木寛之さんと仕事をしたくて、25通もの手紙を書き続けたという。もちろん通り一遍の感想ではなかった。
石原慎太郎さんに初めて会いに行ったときは、50本のバラの花束を持って行った。それだけでなく、「太陽の季節」と「処刑の部屋」を目の前で全文暗誦しようとしたのだ。すると石原さんは「わかった。もういい。お前とは仕事をするよ」と言ってくれたそうだ。
きっとこんなことは誰もしないだろうし、できないだろう。それが圧倒的努力というものだろう。凄まじいと思える。これが仕事に熱狂するということなのだろう。

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できるかできないかではなく、やるかやらないかの差が勝負を決するのだ。
「たった一人の熱狂」見城徹著より。
実に力強い言葉だ。圧倒的努力ができるかどうかは、要は心の問題だという。自分に厳しくなければそれはできないことだった。
「もうダメだ」からが本当の努力だという。こういえるのは、見城氏がそうやって多くの成功体験をしてきたからこそ言える言葉なのだろう。
松本清張さんとは、仕事をすることはなかったが、もし原稿を頼むなら、膨大な著書のすべてを読み切ってから出かけただろうと述べている。
それは、どの作品の話題になっても会話ができるように、十分に準備をしてから出かけるのは当然だと思っていたからだ。
膨大な作品はひと月かかっても読みきれないだろう。だからこそ「もうダメだ」からが本当の努力だというのだ。短い言葉だが、強い心構えを感じる。

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レーニングは絶対に裏切らない。
「たった一人の熱狂」見城徹著より。

「身体がだらしなくたるんでいる状態では仕事という戦場で闘えないから、僕は今日も身体を鍛える」見城氏はいう。
汗を流せば、きっと爽快になるだろう。1週間のうち最低でも3~4回、できれば週に5回はジムにでかけるようにしているという。超多忙なのにすごいことだ。
事務では60代半ばの体をいじめ抜くという。トレーニングは苦しくて辛いのは当たり前だった。そんな時「ノーペイン、ノーゲイン」と独り呟くそうだ。つまり「痛みのないところに前進はない」という意味だった。
レーニングにごまかしはきかない。優秀な経営者は、例外なく皆トレーニングを日課にしているようだ。生まれ変わった肉体と精神で再び仕事に飛び出していくためだった。