ときには仕事の場で感性を働かせてみるのもよいのではないか。

ときには仕事の場で感性を働かせてみるのもよいのではないか。
「ちょっと硬派な男の生き方」川北義則著より。
これは、「仕事の中の男のロマン」と題した部分にあったフレーズだ。筆者は
研究所で働く人や、開発に取り組んでいる人がうらやましいと思うことがあると語っている。そこには男のロマンが見つけられそうだ、というのが理由だった。確かに、宇宙開発で未知の世界を知ることができたりすればロマンともいえるのだろう。
一般的に営業の現場では、成果を期待される、つまりいくら努力して頑張ったとしても、決められた数字を達成しなければ認められないということになる。
そればかり考えていたら、ストレスもたまってとても仕事を楽しむどころではないだろう。私もかつて営業部門にいて、長年ノルマを与えられていたが、そこに自分なりの工夫を加えられたので、そこそこ楽しめたとも思える。もちろん目標を達成した時には嬉しさはあるものだ。
仕事の場で感性を働かせることができるということは、自主的に仕事に取り組んでいるともいえるのだろう。

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きれいと美しいは違う・・・
「ちょっと硬派な男の生き方」川北義則著より。
こんなフレーズは、かつて何かのテレビ番組で画家の岡本太郎も言っていたのを聞いたことがある。きれいは表面的なもので、美しいは内面的なこのだというようなことだった。
ここでは、江戸小紋染めの人間国宝の小宮康孝さんの言葉の引用だった。そして、きれいは目から入る。美しいは心に響くとあった。まさに岡本太郎と同じことのようだ。
やはり職人だからこそ言える言葉なのだろう。しかし、サラリーマンも同様に何らかの職人を目指すべきのだろうな。

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男なら何か一つは蘊蓄を語れるようでありたい。
「ちょっと硬派な男の生き方」川北義則著より。
ここでのタイトルは「人に語れるウンチクを持っているか」となっていた。それはやはり長年にわたって続けてきた趣味のようなものがあるかだろう。人より詳しく知っている、経験したものがあるかが問われている。
作家の開高健は蘊蓄の人だったという。晩年は釣り三昧の日々を送って、釣った魚の料理にもこだわったらしい。そうだ、こだわりがないと蘊蓄も語れないのだろう。自分なりのしっかりした価値観が必要だ。
しかし、その蘊蓄を語るときに知ったかぶりや自慢話になったら逆効果だろう。さりげなく語れるかも大事なことと思えるな。
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こだわりのない男は二流で終わる。
「ちょっと硬派な男の生き方」川北義則著より。
こだわる、といいう言葉はふつう良い意味では使われることはない。なんでそんなつまらないことにこだわっているのだろう、などと使われると大した人間でないようにも思えてくる。
しかし、良い意味でのこだわりもあるのだった。それなら、持ったほうがいいらしい。それは一芸に秀でた人や、プロなら、こだわりを持ってない人は誰もいないからだった。
逆にプロになる人ほどこだわっているらしい。それは一流を目指す人のパスポートでもあると、筆者はいう。
プロではなくても、何かにこだわることで深く堀り下げることができるのだった。そして、そのことに精通することができるのだ。好きなことなら、きっと継続できるはずだ。