定年後の仕事は浪費だと思え。

決まった仕事をこなしたうえでほかのことをやる・・・
「定年と幸福」鷲田小彌太著より。
そうすると、楽しさが倍加するという。確かにそれは実感としてわかる。これは定年後のことばかりと限らないだろう。
朝起きてやるべき仕事を持っているということは、どんなに励みになるかわからないと述べていた。日々の生活に張りが出てくるという意味らしい。
一見、自由業は気ままでよさそうなものだが、意外にストレスがたまるらしい。仕事が常にあるうちはいいが、なくなる可能性もある。むしろ失業寄りたちが悪いとまでいう。いくら実力があっても仕事がなければ辛いものだろう。
作家とは「毎日一定時間書けても書けなくても、机の前に座っていることができる人」と言った人がいるらしいが、筆者はこれは名言だという。なるほど!

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毎日の仕事以上に生活に張りをもたせるものはない。
「定年と幸福」鷲田小彌太著より。
ここには、仕事とは別にこんなことも述べられていた。「結婚生活ほど煩わしいものはないが、緊張というか張りのある生活で楽しい」と。なるほど、けっこうン生活ではそれなりの監視や干渉はある程度お互いにあるものだ。
しかし、だからこそ生活に張りが出てくるともいえる。すべてなんでも気楽なのがいいというわけでもなかったのだ。同じように仕事があることによって、生活にメリハリができるからやるべきだというのが筆者からのアドバイスだった。遊びだけやっていても、充実感はえられないのだろうか。

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遊びは仕事をした自分への褒美。
「定年と幸福」鷲田小彌太著より。
仕事をしているからこそ、遊びもより楽しく感じられるようだ。筆者はこんなことも言っている。「仕事は好きだが、仕事が終わったあとはもっと好きだ」と。
なるほど、好きな仕事をできているうちはいいだろう。とくに定年後は、わざわざ気に食わない仕事をやる必要もないだろう。気持ちよくできる仕事に出合える人は幸せだろう。
ただただ生活のためにいやいやながらやるのは時間がもったいない気もする。よく遊ぶ人は、よく仕事をする人だとはよく言われる。楽しく遊ぶためにも仕事ができるとベストなのだろう。

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定年後の仕事は浪費だと思え。
「定年と幸福」鷲田小彌太著より。
これはいったいどういうことなのだろうと、気にかかる。定年後どんな仕事であれ続けるのがいいと筆者は繰り返して語る。そうすることでいきいきとしていられるからだそうだ。
だからといって、生活のために働くばかりではなく、楽しんでやることを優先するべきだった。
そのためには、とくに収入が伴わないことも仕事としてはありだった。たとえば、農作業もその一つらしい。まずは、資金を使わねばならないからだ。浪費にもなってしまう。しかし、それを仕事としてやれば充実感を味わえそうだ。
また、ボランティアなどタダでもしたい仕事をするというのもありだった。交通費や食費を考えれば、むしろ持ち出しになってしまうかもしれない。しかし、それも仕事だった。
面白い仕事の仕方もあった。それはやりたい仕事をするために、昼間はアルバイトをするというものだ。呑み屋の仕事をやりたいために、昼間はアルバイトをやっていたという人もいるようだ。根性だな。好きな仕事で金をもらえるなら、幸運だろう。