人間は誰でも、自分で自分に言った言葉で暗示をうけるものです。

人間は誰でも、自分で自分に言った言葉で暗示をうけるものです。
「行動することは生きることである」宇野千代著より。
とくにちょっと体調が悪い時など心配してしまうものだが、かつて治った経験があれば、たいて大丈夫だろうと思ってしまう。そして、結果としてそれがいい方向に向くものだ。
自然治癒力も、みな自分の気持ちによることが多そうだ。この病気は治ると思えば、自然治癒力も強く働くということのようだ。
体型も平気だと思っていれば、気にしなくて済むようになるものだ。結局は健康でいられれば、多少見栄えがどうであろうと気にしなくて済むのだろう。どんなことも気にしだしたら切りがない。
人間の体には自然治癒力が隠されていて、それを促進するような適当な方法を講じることがポイントのようだ。すべてに人に共通なことなどありはしない。それは個人がコレだというものを信じてすることが大事なのだろう。

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愉しんでする仕事は続く、疲れることがない。
「行動することは生きることである」宇野千代著より。
この部分を書いているとき筆者は79歳だったそうだが、きもののデザインをする仕事が愉しいという。働くことは愉しいことだと感じているそうだ。
彼女にとって働くということは、自分の工夫したことを自分の工夫した通りの方法で働くことだった。ある意味わがままともいえる。それならどんなことも愉しく感じられるだろう。
人からの命令でする仕事なら、そうそう面白いことばかりではない。どんなことも自分なりに工夫できる余地があれば、仕事は前向きになれる。その結果として、いい成果も期待できるものだ。しかも、疲れることも少ないのだろう。
家でするこまごましたことも、たとえば整理整頓や掃除なども進んでするうちは大変だとは思わない。
宇野さんは小説家だから、まずは机の前にだまって座るという。毎日ちょっとの時間でも座っているうちに何か書けると思っているそうだ。それも好きだからできることだろう。

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どんな仕事であっても、仕事を追っかけていると、とても気持ちが良い。
「行動することは生きることである」宇野千代著より。
ストレスを感じる暇がない、という状態になったらしめたものである、と筆者は経験から語っている。
それはある意味、毎日の生活が充実しているということだそうだ。たとえぽかんとしている時間があっても、一種の休息であればいいそうだ。
宇野さんの場合、原稿用紙が山と積んであると、いつでも仕事がたくさん出来るような気もするという。4Bの鉛筆もいつも五、六十本削って用意しておくそうだ。
このような状態ならいつでも仕事を始められるという。鉛筆と原稿用紙さえあれば、何歳になっても仕事ができるというのは仕合わせだと述べていた。
一般の会社員でもそんな状態なら、いい仕事ができそうだ。趣味でもいつでもすぐにとりかかかれるなら、お手軽に楽しめるだろう。