「幸福は富そのものによって得られるのではなく。富を使って初めて得

「幸福は富そのものによって得られるのではなく。富を使って初めて得られるのだ」
「男はお金とどうつき合うべきか」川北義則著より。
この本のタイトルが魅力的だったので手に取ってみた次第。また上記のフレーズはスペインの作家、セルバンテスの言葉だった。
なるほど、お金をいくら持っていても、それを有効に使わなければ意味がないのだろう。まあ、ないとなると気持ちにも余裕がなくなるから、ある程度はないと心配でもあるが。
ここでの表題は「お金は使うほうが難しい」となっていた。一見稼ぐ方が大変だとも思えるが、使う時にはその人の人間性が見られるという。
経営の神様の松下幸之助氏もお金儲けの神様といわれた邱永漢さんも、お金は使うほうが何倍も難しいと述べていたそうだ。
もし、貯まったお金を何かに投資しようと思えば、かなり頭を使わねばならない。邱永漢さんがかつて消費だけで毎月百万円使ってみようとしたら、かなり苦痛だったという。なるほどそういうものらしい。実際頭で考えるほど簡単ではないのだろう。常にどう使うかを考えておく必要がありそうだ。

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贅沢で破産する人はいない。見栄で破産するんです。
「男はお金とどうつき合うべきか」川北義則著より。
これは苦労した経験のあるある社長の実感らしい。結局、苦しいときは見栄を捨てればいいということだったのだ。たとえば、車を高級車から普通車にすれば、いいのだ。食べるものも工夫次第で安くできるともいう。
ポイントは、手にしたお金でどれだけ楽しめるかを考えることだった。お金持ちになることが目的ではなく、人生を楽しめるかどうだった。お金はそのための道具だという。なるほど!
人生を楽しめないお金持ちと、お金はないが、人生を楽しんでいる人がいるなら、だれも後者だろう。必要以上のお金はなくても、自分なりに楽しめればいいのだ。

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人生の機微というのは無駄金のなかから生まれてくるのだ。
「男はお金とどうつき合うべきか」川北義則著より。
筆者は自分の経験から、遊びのためのお金を作れという。実際無駄金を使って、痛い目にあえば、それは勉強になるのだろう。それは無駄金に見えるが授業料でもあるようだ。つまり生き金になっているのだ。
だから、サラリーマンでも年間100万円くらいの無駄金は使うべきだと述べていた。それが無理なら50万円でも30万円でもいいという。
それを旅行、収集、ギャンブルでも使ううちに、一生付き合える趣味が見つかるかもしれなかった。どんなことも一見その時は無駄だと思っても、後になるといい経験になっていることが多い。
それは無駄金から生まれているのだろう。無駄金を使わなければ、学べなかったことは多いと思える。くだらないことも、どんどん経験すべきだったのだ。

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学びの費用はケチらないほうがいい。
「男はお金とどうつき合うべきか」川北義則著より。
ここには、ある人が韓国語を勉強しようとした時の経験について述べられていた。レッスン料が安いからと、その教室に入ったものの、基礎的なことばかりでそこでの勉強はレベルが低くて役に立たなかったという。
そこで、あらためて自分の要求になうレッスンができるとこことに入りなおしたという。それで仕事で使えるレベルまで達したそうだ。安物買いの銭失いというのと似ている。
また身銭を切るということも大事なことだった。自己投資はケチってしまうと結局は役に立たないということにもなるようだ。仕事自体も、会社の経費より自腹でやったほうが、真剣に取り組めるものだ。やはり意欲が違ってくるというのが大きいだろう。