絵を描くためには瞑想という「心の質」が要求される。

絵を描くためには瞑想という「心の質」が要求される。
「すすっと瞑想スイッチ」齋藤孝著より。
ふだんほとんど瞑想という言葉は思い出すことはない。またそれはいったいどんなことかも考えたこともなかった。この本のサブタイトルには、“疲れにくい心をつくる”とあった。
筆者は、ピカソは瞑想の達人だったと述べている。長時間作業を続けても、まったく疲れを感じないように見える人がいるという。画家はその一例らしい。確かに何かに没頭していると時間がたつのも忘れてしまう。
藤田嗣治もその筆の運びは剣術の達人による剣の動きとよく似ているという。実に面白い表現だ。優れた画家にとっては、描くという行為そのものが瞑想になっているようだ。
こう見てくると、瞑想は意外に大事なことだとも気づかされる。絵を描くことだけではなく、日々の身近なことにも瞑想することを意識したいものだ。

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瞑想にはスポーツと同様、トレーニングが欠かせない。
「すすっと瞑想スイッチ」齋藤孝著より。
やはり瞑想を生活に取り入れるためには、トレーニングが必要だったのだ。その一つに、うまくいったときの心の状態を再現するというのもあった。
うまく瞑想状態に入っているときは、まわりの人が気にならないという。つまり、それをゾーンに入ってる状態というのだろう。それを繰り返すことで、「瞑想スイッチ」が確立するようだ。
それは別に特別な場所とは限らず、どこでもできるようだ。自由自在に瞑想スイッチをオンにできれば、心も疲れないで済むのかもしれない。

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好きな絵を見る。
「すすっと瞑想スイッチ」齋藤孝著より。
この章のタイトルは、「自分の瞑想スイッチを探せ」となっていた。瞑想スイッチをオンにするには、さまざまな機会があった。その一つが、好きな絵を見るということだった。こんなことなら簡単そうだ。
それも絵にもよるのだろう。見ているだけで瞑想スイッチがオンになる作品もあるらしい。筆者にとってはゴッホの「ひまわり」だった。自分が燃え上がるひまわりになったような気分になるという。自分の中にあるものを絵が引き出してくれる感覚らしい。
ある絵に、ふと吸い込まれる気がするともいう。「風景画のなかに自分が入り込んだかのように魂が奪われる」と、表現している。これはすごいことだ。
瞑想を誘う絵に出合いたいものだ。そういえば、かつて若いころ、犬吠埼に一人で絵を描きに行ったときに、目の前に現れた海の風景がまさに、こちらに向かって描いてくれと言っているようにも思えたことがあった。めったにそんな経験はないものだ。
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石の壁の揺るぎのなさは、瞑想的。
「すすっと瞑想スイッチ」齋藤孝著より。
ここでは画家の佐伯祐三を引き合いに出して述べられていた。彼はパリで壁に目覚めたひとりだった。ポスターが剥がれかけたような汚れた壁を、ひたすらパリで描き続けたのだ。日本にはそんな風景は見当たらない。パリだからこそ、描けたのだ。石壁こそが、佐伯には「確固たるもの」の象徴だったようだ。
自分にとって揺るぎのない壁を見つけることはポイントのようだ。壁とは比喩でもあり実際の瞑想にも役にたつのだろう。禅宗の開祖、達磨大師は壁に向かって修行したという。
中国の少林寺で九年間壁に向かって座り続けて、ついに足が萎えてしまったらしい。だからダルマには足がないのだった。壁は人間に落ち着きをもたらしてくれるのだった。

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瞑想スポットなる場所を見つける。
「すすっと瞑想スイッチ」齋藤孝著より。
しばしば観光の場所として、パワースポットというような言葉を聞くが、それとは別に自分だけの場所を見つけることができるといいのだろう。
自分にとっての聖地はどこだろうか、と探してみるのも面白い。散歩をしているうちに、意外に近くに見つかるかもしれない。
たとえば、川の流れや、遠くの風景を眺めている時かもしれない。それは見慣れた風景かもしれなない。それを自分だけの聖地とできればベストなのだろう。
決して、わざわざ遠くまで出かける必要などなさそうだ。樹木や草花にもそんな瞑想スポットはありそうだ。

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好きな言葉を書き続ける。
「すすっと瞑想スイッチ」齋藤孝著より。
例えば、「道」という漢字が気に入ったら、何度でも書くというのもありだそうだ。書いているうちに瞑想ゾーンに突入することも出来るらしい。
それを見ただけで自分を取り戻せるような記号やマーク、落ち着く漢字を持つことは大事だとも述べている。そういえば、自分はたまに一筆箋を作るが、そういうときは自分のペースになっていることにも気づく。
まだまだ瞑想スイッチはいろいろなところにもあった。「スピードを速める」「コーヒーを淹れるプロセス」「車窓の風景を目でとらえる」「「揺れの中で重心を感じる」「雑踏で瞑想する」「川の流れを見る」・・・
この章の最後の部分では、瞑想とは、「いまを生きている」という感覚を取り出し、それをはっきりとかたちにすることだと述べている。過去や先のことではなく、「いまこの瞬間」に意識を向ける習慣が不可欠だったのだ。