即席めんの発想にたどりつくには、四十八年間の人生が必要だった。
「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。
今ではもう当たり前にカップラーメンを食べてはいるが、安藤氏はその発明には人生そのものをかけていたのだ。
そして、このあとには次のように続いていた。「過去の出来事の一つ一つが、現在の仕事に、見えない糸でつながっている」と。
一つの成功の裏には、さまざまな経験がヒントになっていたということのようだ。一見関係なさそうなことでも、後で考えるとヒントになったということだろう。
そう言えば、いつもしている仕事でも以前何気なくやっていたことが、かなり役になっていることにも気づかされる。そう考えると無駄なことは意外に少ないのかもしれないな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は眠るときにも、メモと鉛筆を枕元に用意する。
「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。
これは安藤氏の発明には欠かせないものらしい。これはたとえ眠っていても考えを継続しているということを意味する。
それくらいの執念がなければ、何事もなすことはできないのだろう。氏は私たちに次のようにアドバイスしている。「あなたも四六時中、考える習慣をつけなさい」と。
また「人間五年かければ、一つの仕事ができる」とも語っている。じっくりと時間をかければ、それなりの結果を出せるのだろう。しかし、職場での仕事では、しばしば早い結果を求められるものだ。
やはり発明と日常の仕事とは心構えが異なっているのかもしれない。氏は「発明はひらめきから。ひらめきは執念から。執念なきものに発明はない」とも語っていた。
執念がなければ、ひらめきもおこらない、ということだろう。無から有は生じてはこないと思っていたほうがいいのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時代の変化に対応するのではなく、変化をつくり出せ。
「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。
しばしば、最も強いものは変化に対応できるものだともいわれるが、この言葉はその上をいくものだった。あらためてすごいと思わせられた。
たとえば、環境などの変化に対応することで生き延びることはできるだろうが、むしろよりよい環境を作り出した人間のほうが強そうだ。
そう考えれば、世の中の変化に対応するだけなら、消極的だがその変化を作りだすのはかなりのエネルギーがなければならないだろう。
新しいものが発明されると、世の中の価値観がかなり変わってしまうものだ。カップヌードルの発明は日本発だが、世界にまで影響を及ぼすことができたのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
市場調査の結果は、過去のデータの集大成にすぎない。
「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。
まさにその通りだと思った次第だ。売り上げの結果だけを見て、予測を立てたりしても、必ずしもその通りにいくとは限らない。過去のデータはその時のものであって、将来も同じように行く保証はない。
前回うまく行ったことも、条件が変われば、まったく未知数といえる。むしろ今までやらなかった方法で商品を提供すべきだったのだ。
そして、氏は「人々の感動を呼ぶような商品を作りなさい」と述べている。まさにそれこそが、本来の商売だろう。今まで通りならとても飛躍的な伸びは期待できないものだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ラーメンを売るな。食文化を売れ。
「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。
単に売り上げを伸ばすために、ラーメンを売るということ以上に、食文化というところまで考えているところがすごい。
ポイントは、食品というモノではなくて、文化というコトだったのだ。カップヌードルによって、食文化が大きく変わったことは確かだ。お湯さえ注げば、どこでも食べられるということは画期的なことだった。
かつて、私は時計を売ろうとする前に、時と時計の関係を考えてみることも必要だと思ったのだ。時間のことに関する読み物も意外に面白いものだ。普段はすっかり忘れていることも、思い出すことができたものだ。
そういえば、ここにも時間に関係ある言葉があった。〜インスタントとは「即時」「即刻」「瞬間」という意味である。してみるとインスタント食品とは時間を大切にする食品ということになる。〜とあった。
あらためて、インスタントの意味の深さを感じさせられた。