人に教えるということは学びの意欲を促進させる。

「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。
これは、吉田松陰の「教え合い学習法」というタイトルで書かれていたところにあったフレーズだ。松陰は投獄された獄中までも学びの場にして、教え合いの輪を築いてしまったという。
並みの人間にはできないところがすごい。さらに自分が教えるだけではなく、俳句の得意な人がいれば、その人が先生になって教えたり、書の達者な人は書道を教えたそうだ。
誰でもなんらかの得意な分野があれば、それを教え合うということは広くいろいろなことを学べそうだ。
学ぶことも仲間がいれば、継続もしやすいのだろう。筆者の斉藤氏も話すことで覚えられるという自身の特質を生かして、友人を巻き込んで一緒に「対話型勉強法」をやっていたそうだ。

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目指せ、「飛耳長目」。
「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。
こんな言葉は、今まで聞いたこともなかったが、その意味は、観察力や情報の収集力があり、見聞が広くものごとに精通していることだという。
これも吉田松陰のことを述べていた部分にあったもので、松陰はこのようにアンテナを伸ばしてあらゆることを学ぼうとしていたのだ。
しかも、単に耳で聞いた情報だけでなく、自分の体を関わらせることがポイントでもあった。実体感しなければ、自分で考えてものをいうことはできないという。確かに説得力があるのは自分の体験を通した話だ。
単にネットで調べただけで知ったつもりになるのは、まだまだ不十分なのだろう。植物や動物や昆虫も写真で見るのと、実物を触ったり見るのとは大違いだ。印象がまったく異なっていることにも気づくはずだ。

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