自分に適した勉強スタイルを持つ。
「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。
まずは、ブレイクスルーとは何となく意味はわかるが、ここでは行き詰まり状況を突破することだという説明があった。勉強していても何となく行き詰まってしまうことはあるものだ。
とにかくどんな勉強の仕方が自分にフィットするのかを知ることが先決のようだ。自分のゴールデンタイム、集中できる環境、どんなやり方ならスイッチが入るかなどだ。
図式化すると、「自分に合った勉強スタイル⇒持続⇒ブレイクスルー」、ということだった。学生時代は勉強とはやらされるものというイメージがあった。しかし、社会人になれば自分で自主的にやるものだ。
作家の村上春樹さんは、「勉強することに興味を覚えたのは・・・社会人になってからであると語っている。しかも自分が興味があるものごとを、自分にあったペースで、自分の好きな方法で追及していく・・・」と述べていた。
それができるのが大人の勉強の面白さらしい。もうひとつ大事なポイントは「身銭を切る」ということだった。長続きしなければ、せっかくの興味も身につかないだろう。

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自分の得意技を持っていて、それが磨き上げられていた。
「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。
これは東大生に関して共通することで、みんながものすごく頭の切れる人ばかりではないと齋藤氏は感じていた。つまり大学受験の時点で、自分の武器を技化できているところが強みだったのだ。
そして、齋藤氏の得意技、決め球は何かと言うと「話して覚える」ことだったようだ。普通なら受験勉強はひとりでやるものだが、氏は友達とタッグを組んでやっていたという。
知識として頭に入れたことを人に話すことで記憶に定着させるという技だったのだ。また集中できる場所はどこかも大事だった。人によって自室、図書館、喫茶店などさまざまだ。
高校一年でTOEICで900点採った人は、どんな勉強をしたのかといえば、公式問題集を買って、解いて自分にとって必要な語句をノートにまとめて、自分のオリジナル単語、熟語帳を作ったという。あとは反復練習したのだ。実に地道な勉強法だった。自分にあったノートを作ったのが技の一つといえよう。


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楽しくできればいいんですよ、という勉強の仕方がある。
「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。
勉強する際に、それが「必要」なのか「好き」なのかをしっかり見定めておく必要があるという。やはり好きなことなら進んでやる気も起きるだろう。必要だからといってやっても、義務感があれば苦痛だろう。
齋藤氏はチェロを習っているという。そこでは上達をいちばんの目的にしていないという。それをやっていることが楽しい、それをやっている自分が好きという感じだった。
だから、とうぜん嫌になったりはしない。これが継続できるポイントだとも思える。スポーツにしても、歴史の知識にしても、芸事など習っていることでも、好きでやって楽しめるならそれでよかったのだ。
いちばんまずいのは、「必要」でもないし、「好き」でもないという中途半端な状態だった。それではただの時間の無駄ということになってしまう。
身につく勉強法のポイントは3つ書かれていた。1、目的は何か。2、やり方は自分の気質や特性にあっているか。3、「決め球」はあるか。だった。仕事にも応用できそうだな。

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「自分をバカだと思うこと」の賢さ。
『「つまらない大人」にはなるな』川北義則著より。
バカだと思うことが賢いことだというのだ。実に面白い表現になっていた。これはもともと漫画家の赤塚冨士夫さんがいつも言っていたことを簡単に言ったことだった。
赤塚さんは次のように言っていたという。「みんな、自分が利口だと思っているから、ダメなんだ。自分はバカだと思っていれば、まわりのみんなが利口に見えてくる。そうすれば、いろんな知識を得たりできて勉強になるんだ」と。
これで思い出すのは、聞くは一時の恥・・・というやるだった。しかし、知らないことを聞くのに恥ではなく、恥ずかしいということだろう。単に素直になって聞けばいいだけのことだった。
ポイントは役にも立たない虚栄心や見栄を捨ててしまうことだったのだ。そうすることで、たずねるべきことの幅も広がるし深みも出てくると筆者は述べていた。なるほどそうだと思った次第。


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人との面談で得られる情報はナマのままだ。
『「つまらない大人」にはなるな』川北義則著より。
いくら新しい情報を得たといっても、それが新聞、雑誌、テレビ、インターネットを通じてのものだったら、すでにメディアの担い手たちの目を通したもので、きれいに整理されたものだったのだ。
だから、めったに新鮮な情報というのはお目にかかれないといってもいいのだろう。ある意味儲かる株の情報を教えるというやつと似ている。そんなものは、儲かるなら人になど教える前に自分で買ってしまうだろう。
むしろナマの情報は人の口から発せられた時点のものだろう。その場に自分が居合わせたなら、本当のナマの情報と言えるかもしれない。臨場感がなければ本物とは言えないのだろう。
仕事のヒントなどもたわいもない会話、ささいな言葉のなかにも含まれているものだった。思わぬところにいい情報があったりするものだ。やはり体を動かさねばそんないいシーンには出合えないだろう。
大事なことは人から聞いた情報ではなく、自分がナマ身の人間から聞いた情報で判断することだったのだ。ついついメディアを通じたものに左右されがちだから気をつけねば。