得意なことを自分から進んで宣言すれば、そこにはプライドも責任も生

得意なことを自分から進んで宣言すれば、そこにはプライドも責任も生まれる。
『グッとくる「はげまし」言葉』斉藤孝著より。
能ある鷹は爪を隠すというのが大嫌いなんだ。とは、ホンダの創業者、本田宗一郎が語っていたことだった。このあとには「タカはタカで、おれはタカだぞと、おれはスズメはだぞ、・・・と、これでいいんじゃないか」と続いていた。
本田の得意のフレーズは「得手に帆をあげて」だったという。みんな得意なことで働くべきだという意味だった。そうすることで、人からは苦労に見えても、本人には一番楽なことで認められるということだった。
これは実に理にかなっている。個人会社の双方ともウィン、ウィンの関係だとも言えそうだ。得意なところを徹底して伸ばせれば、結果的にもいいということは想像できる。
心の張りが力を伸ばしてくれるからだった。やはりやりがいを実感しながら仕事ができるときは嬉しいものだ。しかも、自分の得意なことが生かせれば次への励みともなる。

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机の前で知恵を出そうとしているだけでは本当の知恵は出てこない。
『グッとくる「はげまし」言葉』斉藤孝著より。
松下幸之助は「知恵があっても、まず汗を出しなさい。・・・」と語っている。それはある会社の社長が、「知恵のある者は知恵を出せ、無き者は汗をだせ、・・・」と話していたのを幸之助が聞いて、「あかん、つぶれるな」と言ったそうだ。実際その会社は数年後に本当につぶれてしまったのだ。
大事なことは、まず汗を流して実体験を積めということだった。水泳を例にとればわかりやすい。いくら達人の先生から講義を受けても、すぐには泳げない。まずは、実際に水に浸かって水を飲んで苦しむ必要があったのだ。
やはり、現場主義ということを考えると、同じ創業者の本田宗一郎とも似ているような気もする。新しいものを作り上げるには、単なる理屈だけではどうにもならないものがあるのだろう。
また頭でわかることと腹でわかることは別と言う表現もあった。腹でわかるとは、汗を流して経験を積み、事柄の細部までわかることだった。それには地道な創意工夫が大事だとも言えそうだ。

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全身の力をすべて一点に籠めて出し切る。
『グッとくる「はげまし」言葉』斉藤孝著より。
幸田露伴は「娘の文に薪割りを教えたときに、「おまえはもっと力が出せる筈だ、働くときに力の出し惜しみするのはしみったれ・・・」と語っていた。
タイトルに挙げたフレーズは、要するに「渾身」という意味だった。筆者の斉藤氏はスポーツや武道をやって全身の力を一点に籠める練習を大量にやってきたという。
それが今の仕事にもつながっているようだ。なかなか普段の生活で渾身というシーンには出合わない。しかし、それが仕事にも生かせるとなれば、効率もあがりあそうだ。
また露伴は「弘法筆を択ばずなんていうことは愚説であって、名工はその器をよくすというのが確かなところだ」とも語っていた。道具の良し悪しが、技に影響するというのも事実だろう。
いい仕事をするには、まずはいしっかりした道具も必要だということだ。また、いい道具を持てば、それなりに気持ちも充実してくるものだ。

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型を習うのは誰でもできるが、型をつくるのは天才の仕事だ。
『グッとくる「はげまし」言葉』斉藤孝著より。
筆者によれば、棋士升田幸三の魅力は、なんといってもその後の定跡となるような創造的な手をいくつも生み出したところにあるという。
自分が初めて編み出した戦法が、その後の棋士たちの戦術の基本になっていったそうだ。そう考えれば、すごい仕事をしたことがわかる。
仕事でももすでに出来上がったパターンを利用するだけなら、誰でもできるものだ。またそれがうまく行ったところえ感度もないだろう。しかし、その必要性を実感して、考え出すのはそれなりの苦労もあるだろう。
身近なパソコンにしても、ケータイにしても使うのは誰でも、できるが、それを考えて作りだすのは天才に近い人たちだろう。われわれはそんな天才たちの恩恵にあずかっているのかもしれない。