道楽と趣味的遊びの違いは「節度」にある。

「男の品格」川北義則著より。
そもそも道楽という言葉自体日常生活ではあまり使わないものだ。むしろ趣味の方が一般的だろう。そして節度のないレベルまで入ってしまうのが道楽ということだった。
ある人は「楽しいってことは、羽目をはずすってことなのさ」とも言っている。苦労して大金を稼いでも、ストイックに生きて本当に楽しいのかということだった。
たとえば、ダイエットも盛んに行われているようだが、決してそれが楽しいからやっているわけでもなかった。やせる必要がある、やせているほうがかっこいいから、という思いで努力しているのだった。
そういえば、先日テレビでモデルが痩せることに懸命になって栄養失調で死亡するという番組があった。痩せた体をみると実に異常で気持ちが悪かったものだ。
話がそれてしまったが、人間は自分の人生を楽しく充実させるためには、時に羽目をはずしてみる必要もあると、筆者は語っている。ここでの小タイトルは「楽しくない人生なんて生きる価値はない」となっていた。なるほど!

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うつつを抜かす・・・とは「心を奪われる」「夢中になる」ということだ。
「男の品格」川北義則著より。
学問を研究するということなら、一つのことに深く入り込んでいくことが必要だった。また仕事でも自分の専門を決めたら、脇目も振らずに打ち込んだほうが業績も上げやすいとも言える。
狭い分野で自分なりに時間をかけて努力することで、新しい分野を切り開くという考えもありだろう。人と同じことをしていても、成果はそれほど望めないものだ。
石毛直道さんという民族学者は「食物民俗学」という新しい分野を切り開いている。それは自分の性格にあったやり方で研究を重ねたからできたのだった。
そんな氏の言葉に「人生は何かを達成するための生産の時間ではなく、面白いことをするための消費時間。結果として何かが残ればいい」とあった。まずは面白いことをもっと優先した生き方をした方がよさそうだ。

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「面白そうなこと優先」の生き方の賜物のように思われる。

「男の品格」川北義則著より。
これも先日触れたことと似ているが、別の人物を引き合いに出していた。その彼とはタレントの片岡鶴太郎さんだった。そう言われて初めてそうそう彼はそんな人物だと気づく。
はじめデビューした時はモノマネお笑い芸人だった。その後ボクシングの資格をとって、実際の試合ではセコンドまで務めている。並みの努力ではそこまではいかない。
さらに有名なのは水墨画でも一流になっていることだった。テレビで講師をやっていることもあった。またあちこちで展覧会を開催し、美術館もいくつかできている。
通常は役者としてテレビドラマに出演している。幅広い役者としての活躍ができるのもすごいことだ。苦労を楽しんだからこそ、今の地位があるのだろう。凡人にはできないことだ。
ここでの小タイトルには「自分に合った喜びの型を見つける」とあった。なるほど、これがポイントなのだろう。