勉強には二種類ある。

勉強には二種類ある。
「独学の技術」東郷雄二著より。
まずは、新書版の本を手に入れたのは、地元の図書館だった。去年たまたま訪れた際に、リサイクル資料として、持ち帰ることができたのだった。その時持ち帰った1冊がこれだった。
発行は2002年となっていたが、内容にはまったく問題がないと思われた。筆者は今まで聞いたことがなかったが、京都大学の教授だった。
さてフレーズにあげた部分はそれだけでは想像もつかないが、読んでいくうちになるほどと思えた次第だった。ここでは、勉強Aと勉強Bに分かれていた。
勉強Aでは、次のように説明があった。「先生から習う。受動的である。点数をつけられる。正解がある。得点を競争する。問題は与えられる」だった。
それに対して、勉強Bではまったく反対の内容だった。「自分で学ぶ。能動的である。点数では計れない。正解がない。得点を競争しない。問題は自分で探す」となっている。
ここでの勉強とは、Bのことをさしていた。Aは義務感を感じるばかりだが、むしろBの場合はワクワクしてくる感じがする。

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知的ということは、自分の頭で考える力を持つということ。
「独学の技術」東郷雄二著より。
しばしば知的という言葉を耳にしたり目にすることがある。しかし、それは漠然としていて、なんだかよくわからないが、こうして説明されるとややわかりやすい。
人の考えではなく、自分で考えることがポイントだったのだ。そこには、やはり能動的という意味合いもあると思われる。人から与えられたものでは意味がないのだ。
自分で問題や課題を見つけて、それに取り組むという姿勢が大事なのだろう。一見大変だと思えるが、自分で思いついたことは、むしろ進んでできるから楽しみでもある。
自分から進んで知識や情報を増やして、自分なりの見方ができると、それなりの自信につながり人に対しても説得力が増すと思われる。

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勉強とはコミュニケーションだということである。
「独学の技術」東郷雄二著より。
勉強とコミュニケーションはいったいどういう関係があるのだろうかと気になった。ここにちょっと面白い資料があった。それは総理府の「生涯学習に関する世論調査」だった。
生涯学習を始めたきっかけの第二位は「家族や友人に勧められた・誘われた」が31%を占めていたのだ。自分でその気になったとおいう自律的な動機ではなかったのだ。
勉強も遊びやスポーツも一人では面白くもない。釣りは一人でするが、その仲間がいればより楽しめるものだ。勉強も感じことを勉強している仲間がいれば、情報も交換でき、継続もしやすいものだ。
独りよがりだけでは、満足な勉強の成果が得られるとは限らない。やはり人とのコミュニケーションがあれば、より効率的で内容も深くなることが考えられる。
そういえば、SNSやブログでもたった一人だけでやっていてもつまらないだろう。やはり仲間がいれば、それなりにコミュニケーションがあって、楽しめるものだ。

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「借りて読んだ本は頭に残らない」
「独学の技術」東郷雄二著より。
こう語っているのは、大学教授でエッセイストの林望氏だった。そして、筆者もこれに同感だと述べている。その根拠は、借りた本では線を引いたり書き込みができないからでもあった。
読んでいるうちに、余白に突っ込みや自分の意見や思いつきを書きたい時もあるものだ。しかし、それができないとせっかくのアイデアも消えてしまう。
もうひとつ別の理由もあった。買った本は手元に置くことができる。本の実物を見れば、読んだ本の内容を漠然とでも思い浮かべることができるからだった。もし、目の前になければ、思い出すこともないだろう。
また、再度内容を確認したい時も、あれば便利だ。本は迷ったら買え、というのが筆者の考えだそうだ。新刊もいつまで店頭にあるかわからないからだ。本との出会いも一期一会という。

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本は大事な所だけ読めばいい。
「独学の技術」東郷雄二著より。
それはそうだろうが、その部分を見つけるのはどうするのだろうと思ってしまう。確かに1冊をすべて読みとおすとなると時間もかかる。自分が必要としている情報はごく数ページに限られるかもしれない。
時間の有効活用ということを考えれば、最後までじっくり読む必要はなかったのだ。まずは目次と索引にざっと目を通して、自分にとって重要な情報が書かれていそうな部分だけ読めばいいという。つまりこれが広い読みだった。
普段は、ついつい目次を飛ばして、いきなり1ページから読み始めてしまうことが多い。しかしかなりの時間の無駄をしていることもある。
あとは斜め読みというのもあった。これはかなりの速度でページに目を走らせることになるから、かなり訓練も必要そうだ。キーワードにぶつかると、目が反応してそこで止まる、というがちょっと難しそうだ。

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装うことはその人の生き方だと思えるようになった。
小田急VOICE」5月号より。
これは、「Beautiful Voice」という林真理子さんが毎月連載しているエッセイの中にあったものだった。この月のタイトルは「おしゃれな人」となっていた。
林さんは服を買うのは好きだが、色彩感覚が欠けていると思っているそうだ。おしゃれな人は必ずしも高級品を身につけていなくても、それなりによく見えるものだ。
やはり普段からセンスを磨いているのだろう。林さんはあるニュースキャスターは真っ白いシャツがとてもよく似合うという。その彼女は「シャツは必ず自分で洗って、自分でアイロンをかけるの。心を込めてね」と語っているそうだ。
やはりそれなりの手間ひまをかけて、準備していることがわかる。結局面倒だと思った時点で、センスは磨かれないということかもしれないな。
最後の部分で、「人にどう見られたいか、どう過ごしたいか考える。それはとても大切なことで、どう生きたいかにつながることなんだ」とあった。実に深みのある言葉でもあった。