一人でもできる趣味の持ち主は、結構楽しんで生きていける。

「男の品格」川北義則著より。
年齢が進むと、いつでも仲間がつきあってくれるわけではないだろうから、やはり何か一人でも楽しめる趣味を持っていたほうがよさそうだ。
それも、そのうちと思わずに、早いうちから見つけておくことが大切だという。一人でできる趣味を考えた場合、読書、絵画、美術鑑賞、映画鑑賞などが思い浮かぶ。
できれば、そこにひとひねりできればいいのかもしれない。また、単に鑑賞するだけではなく、自分から何かを発信していくことのほうがもっと面白いはずだ。
今日たまたま駅前のパチンコ屋の前をバスで通ったら、開店前から行列ができていた。なんと時間がもったいないことかと思った次第だ。
自分なら、もっとクリエイティブなものに時間を費やしたいと思った次第だ。筆者は料理なども趣味の一つとして提案している。たまには面白いかもしれない。

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趣味は実践しなければ意味がない。
「男の品格」川北義則著より。
趣味の話など人から聞かされても面白くもなんともない。やはりそれは自分がやってこそ湯意義な時間を過ごすことができるものだ。
筆者は無趣味というのは、無人生というくらい味気がない人生だという。確かにそうだと思える。やはり趣味があってこそ人生にも潤いが出るだろう。
子供の頃昆虫採集が趣味だったら、それを今でも続けていることが必要だった。昔こんなことをしていていたという思い出ばかり語っても意味がない。
私は若い頃絵を描くのが好きだったが、今では鑑賞のほうがメインになっている。そのかわり写真を撮るようになっている。それもアートと考えれば、形を変えて続いていることにもなるだろう。
仕事も家庭も趣味も同じくらい大切にしたいものだ。筆者の言葉だが、趣味は人生に彩りを添え、生きる喜びを与えてくれるという。シンプルだがいい言葉だ。

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人生は一人駅伝のようなものだ。
「男の品格」川北義則著より。
人生をマラソンではなくて、駅伝にたとえているところが新鮮に思えた次第だ。それは生きていく途中ではいろいろな節目があるからだった。
その節目がることが駅伝にたとえたものだろう。就学、恋愛、結婚、仕事、子育て、退職、老後・・・その間にまだまだ親との別れなどいろいろあるだろう。
生き方も途中で変化するものだが、節目のタスキとして趣味があればまたいいものかもしれない。生涯を通じて実践できる趣味を持てたら幸せだと言えそうだ。
もし、そこで人があまり挑戦しないような趣味を見つけることができたら、生きがいとも感じられそうだ。


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定食メニューばかり食べていたらいずれ飽きがくる。
「男の品格」川北義則著より。
これは趣味を定食という言葉に置きかえている。つまり、同じことを繰り返していてはそこにはオリジナル性がないので飽きてしまうということだった。
たとえば古い街の散策でも、テーマを持たないと面白味は深まらないものだ。人と同じようなことをしても満足感は少ないことは想像できる。
そこで、大事なのは創造的なものに持っていく工夫だった。そこでのポイントについて、2つあげていた。
一つは定食メニューにトッピングする。温泉旅行なら、何かのテーマを作って出かけていくことだった。デジカメでカレンダー用に写真を撮るなどが入るらしい。
もう一つは、世のため人のためを目的にすることだった。例として、ソバ打ちをマスターしたら、老人施設でそれを振舞うなどだった。自分の楽しみだけで終わらせないというのも工夫だった。

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趣味を自分のライフスタイルにする。
「男の品格」川北義則著より。
趣味の世界も極めると、それが専門になってしまうこともあるらしい。ここえ例としてあげていたのが、ミステリー作家の内田康夫さんだった。
もともと将棋とミステリー小説を読むのが趣味だったそうだ。しかし、あるとき思わず、俺だって書けるさと言ってしまったために、書かざるを得なくなってしまったそうだ。
そして、書いたものが評判がよくて、意外にも作家への道が開けたそうだ。趣味から本業になってしまったという珍しい例だろう。
そうえいば、オタクが行きすぎると専門家になってしまうのかもしれないな。ほかに詳しい人がいなければ、第一人者になってしまうからだ。
趣味を楽しんでいるうちに、それがライフスタイルとなれば、幸せなで充実した人生を送っているとも言えそうだ。

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