人生は今を楽しむ意外に楽しむ時はない。

「男の品格」川北義則著より。
これは第二章の家庭について述べられた部分にあったものだ。そこでは夫として、父としてどういう感じで過ごすかについて語られている。
単に仕事だけやっているだけでは楽しめない。一社のために自分を捧げる必要もないのだ。確かに会社のおかげで経済的にも余裕が持てたことは確かだが、会社生活だけがすべてではない。
家庭生活もどうしたら楽しめるかを考えることも必要だった。自分だけ楽しむわけにはいかない。家族がそれぞれ楽しめることも考えることも大事なことだった。
それを義務と考えれば、それができたら自分も遊べるということのようだ。遊ぶ権利を得るためにも家庭を第一に考えねば。会社組織の責任から離れると、それはとくに実感することだ。

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人生は些事の連続だ。
「男の品格」川北義則著より。
些事(さじ)という言葉は初めて聞いた表現だった。しかし、字面からその意味は細かいことだと伝わってくる。
遊びには特別な才能はいらないが、この些事に強くなればいいという。それを磨けるのが料理だという。なるほど、料理の味は微妙だからこそ、ちょっとしたことも必要なのだろう。
遊び上手になるには、細部を味わう訓練をするといいらしい。それができると人生の楽しみもぐんと増すとアドバイスしている。
確かにそれは実感する。ちゃんとした料理はできないが、自分が選んで購入した果物で〜〜酒を作ったり、ジャムを作ったりするのは楽しいものだ。しかも長く味わえるのもいい。
ここでは芥川龍之介の言葉も紹介されていた。「人生を幸福にするには、些事を愛さなければならない」と。これが遊び心であったのだ。


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「余裕ができたら・・・」というのはやめよう。
「男の品格」川北義則著より。
ついつい無意識のうちに使ってしまう言葉かもしれない。余裕がないから遊べないとも言ったりする。だからもし時間もお金もある程度余裕があることはラッキーなことなのだろう。
今あるお金でどうしたら楽しめるかを考えればいいのだろう。いずれにしても自由になるお金には限度はあるわけだから、そお範囲内で楽しむしかない。
また余裕がない人もそれなりに楽しんで過ごしてるものだ。やはり気持ちの持ちようでもあると感じられる。お金をあまり使わないでも遊べることも、工夫次第であるようだ。
大事なのは遊び心だったのだ。何でも遊んでやる、楽しんでやるという気持ちを持って臨むことだとアドバイスしている。遊べるうちに遊ぶという考えでいいのだろう。
自分でいろいろと記念日や行事を作って、それを大義名分に家族で集まって食事をするのも遊びだろう。要するにいかに納得して、遊べるとか欲しかった買い物ができる口実を作るかがポイントだろうな。

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無駄金を使えるようでないと、本当の男の遊びをしているとはいえない。
「男の品格」川北義則著より。
ここでの小タイトルには、「年間100万円の遊び資金を捻出せよ」とあった。男だったら年間100万円くらいは、遊びでお金を使う生き方をしたいものだと筆者は語っている。
他人から見たら、何の役にも立たない無駄金のことだった。日々の生活から余分な経費を削ってでも、遊ぶお金は捻出したほうがいいともいう。
100万円は多そうに見えるが、月額にすれば8万円ということになる。使う意義や価値を考えない方がいいともいう。
無駄金をどれだけ使えるかが、その人間の器を決めるともいえるらしい。なるほどと思える。魅力的だと思える生き方をしている人は、それができる人だろう。
ここでは、男の金の使い方について、ココ・シャネルの言葉を紹介している。「小銭入れを持っているような男とつきあっちゃダメよ」「お金持ちというのは、どれだけお金を持っているとは関係ない。どれだけ使ったかで決まるのよ」と。さすが名言だと思える。

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「自分スタンダードな男」
「男の品格」川北義則著より。
これはいったいどんな人をさすのだろうかと思ってしまう。魅力があると思える人は、自分だけの価値観で動いている人らしい。それが自分スタンダードという意味だった。
外見ではなく、独自の魅力的な価値観というが、なかなかそれも難しそうだ。独自の魅力なんてないかもしれないし。
自分の個性を土台にして、そこから余流をもって、自分の最良の部分を出すようにすれば、自分スタンダードができあがると、川北氏は語っている。
相手に迎合したり媚びたりすることはよくないのだ。自分なりの自然体で接するのが一番いいともいう。振り返ってみる必要がありそうだな。

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「今日」の中に、人生のすべてがある。
「最近、何かムチャなコトした?」中谷彰宏著より。
たまたま入ったブックオフで見つけた一冊だった。黄色い表紙で15センチ角の正方形の小さい本だったから逆に目についたのかもしれない。108円で買えた。
この本の帯には「感動がエネルギーになる」(感動発電)というコピーがつけられていた。これも面白い。確かに感動があると気持ちに変化が起きるものだ。
さて、タイトルのフレーズだが、そのうち何かをやろうと思っていても、なかなかその踏ん切りがつかないことがあるものだ。だからこそ、それを今日からスタートすべきだということにも聞こえる。
結果が出ることを考えずに、まずはやってみることが大事なのだ。今日はできないが、いつかと思っていることはチャンスを逃していることだった。今からできることもあるのだ。

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「今さら」なことを「今から」しよう。
「最近、何かムチャなコトした?」中谷彰宏著より。
これも何かをスタートするということを意識した言葉だろう。実際に言葉には出さないものの、「今さらこんなことをしても」などと思ってしまうことはある。
しかし、その「今さら」を「今から」に言い換えると、いろいろなことができるともいう。ちょっとした気持ちの持ちようが大事だということだろう。
踏ん切りがつかないこともあるが、たった一文字「さ」と「か」の違いだけだった。それで人生が楽しめたらしめたものだ。
まだやり残したことが沢山あるはずだ。思い出しながら、もう一度「今から」できるものを探してみようかな。

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遊びで度胸を鍛えよう。
「最近、何かムチャなコトした?」中谷彰宏著より。
面白いフレーズだと思った次第。一般的にはお金がないから遊べない、と考えるがお金がないなりの遊びを考えればいいとおいう考え方も必要だった。
お金で遊ぶのがいいとは限らないのだ。むしろいろいろ工夫することも面白いのかもしれない。制約があるからこそ楽しめる遊びもあるようだ。スポーツもルールがあるからより楽しめる。
遊ぶために必要なのは度胸だった。仕事にはそれほど必要ないともいう。遊びで鍛えた度胸を生かせば仕事もこなせるようだ。
振り返ってみれば、思い切って投資したことがあとで、利息がついて返ってくるということもあった。ちょっとしたことが度胸になって、気持ちに余裕ができたとも思える。