ゆとりのない男には魅力がない。

ゆとりのない男には魅力がない。
「男の品格」川北義則著より。
これは、まえがきで述べられている言葉だった。実際にゆとりを感じられるのは、趣味などをしているときかもしれない。
また、日常でもあらゆる場面でゆとりがないと、心身ともに疲れてしまうものだ。ゆとりがないということは、視野も狭くなってしまうことでもあった。たしかにこれでは創造的な仕事などできない。
仕事で力を発揮できるのは、やはり想像や創造が自分なりにできていると感じた時だ。いい仕事もゆとりがあることが条件かもしれない。
時どきは、意識的にゆとりの時間を持つべきだろう。ここでは、車のハンドルを例に出していた。つまり、「遊び」があるから、スムースにことが運ぶということだった。
遊び上手な男は、仕事もできるとは、以前から何度も目にしたことがある。品格はゆとりから生まれるともいう。ここでは、ゆとり心、遊び心をすすめている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

仕事でよい成績を上げたいなら、もっと遊び心を持ったほうがいい。
「男の品格」川北義則著より。
ここでの小タイトルは、「仕事上手になりたければ遊び上手になれ」だった。このようなフレーズは何度も繰り返されていた。
単に真面目一方だけでは、仕事もつまらない。筆者は、遊び心がなければ仕事も中途半端にしかえきないだろうとも述べていた。
脳の研究から、真面目な努力がもたらす仕事の成果は、平均レベルをでないことがわかってきたそうだ。つまり、今までやってきた通りや、人と同じレベルではよりいい結果を望めないということだ。
これにはまったく同感だ。人に抜きんでた成果をもたらすのは、人と違った努力が必要だ。それには創造力がなければならない。
振り返れば、今までの長かった会社での仕事絵は、どれだけ人と違ったことができるかが大切だと思ってやってきたものだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
役に立たないことがどこまでできるか?
「男の品格」川北義則著より。
遊びと言っても、人それぞれ異なっているものだ。一見してつまらないことに見えても、本人にはけっこうな遊びになっていることもある。
無駄なこと、意味のないことも、遊び心には必要だった。やはり無駄があるからこそ楽しいことも多い。人から見て無駄遣いでも、本人にはそれが楽しいものだ。
仕事ではムリ、ムラ、ムダをなくして効率ということがしばしば優先されている。しかし、結果的には遠回りになったことで得られることも多い。
しばしば、ノーベル賞などでも、失敗したことが、新たな発見につながっていることもある。ガラクタだと思っているなかに、宝があるかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

仕事は男の中身を作り、遊びは男の行間を広くする。
「男の品格」川北義則著より。
これ自体が何かの商品のコピーのように思えた次第だ。仕事をきっちりこなせることは社会人なら当然なことだ。それを積み重ねることで、男は中身つまり人間的にも成長するのだろう。
しかし、いくら仕事ができても周囲からはすべての面で認められるとは限らない。よくいろいろな人とつきあうことで、人間の幅が広がるというようなことも言われた。
また、ある意味、魅力的だと思える人は、さまざまな経験をしてきた人であることが多い。仕事はできなくても、素晴らしい生き方をしている人もいる。
筆者は、男の遊ぶ才能とは、遊びから何かを学ぶ才能だともいう。なるほどと思える。そのことが男の行間を広くするという表現になっていたのだろう。